おとなしい人の特徴
おとなしい人は、楽しくなければ、別に笑う必要がないと思っている。
そして他の人と会話していて楽しいかどうかは、相手にかかっている。
相手がつまらない人間だと、こちらもつまらない。
なんか楽しいことないかな〜と、探している。
反応的な生き方なんだ。
自分から楽しく過ごすことができないからだ。
何かに楽しませてもらわないと退屈だ。
彼らにとっては、これらの反応はしごく当然のことと捉えている。
目に見える現実に則しているということになる。
現実に則していないことは、彼らにとって無駄でしかない。
無駄なことはやる必要がないと思っている。
結局、無駄なことをやらなかったとしても、代わりに有意義な活動をするかというと、絶対にそんなことはないのだけどね。
だから、自分を変えようとしない。
結局、楽しいことを探しても、自分から相手を楽しませるようなことをしないから、楽しい人はおとなしい人のことを好きになってくれない。
他人からすると、奪われるばっかりで疲れるんだ。
無表情で、自分からは何も楽しく振る舞おうとしない人間に、人は寄り付くだろうか?
反応的な生き方と主体的な生き方
おとなしい人は、自分以外の外に価値を見出している。
だから、自分のことを気持ちよくしてくれる人、物に引き寄せられてしまう。
こういった生き方を「反応的な生き方」と言う。
反応的な生き方だと、非常に不安定だ。
だって、自分が楽しいかどうかは、外部要因にかかっているのだから。
自分の都合と関係ないところで、突然なくなってしまうかもしれない。
なので、失ってしまう恐怖は潜在的になくならないし、完全な安心を手にすることはできない。
楽しませてもらったものがなくなってしまうと、もとのつまらない自分に戻ってしまうから。
「主体的な生き方」に切り替えようじゃないか。
これは、自分から楽しくできる人のことを言う。
自分から始められる人だ。
自分から、笑顔で声を掛ける。
自分から、場の雰囲気を良くするよう心がける。
自分から、人に親切をする。
自分から、感謝できる。
人に先に与える。
人間社会において、反応的な生き方だと損をする
ここで自称現実主義者は言う。
与えても、返ってこなかったら損じゃないか。
やれやれ。
そのあり方自体が、非常に損をしているということに、気が付かないのかな。
人間というのは、ものすごく他人のことを見ているものだ。
自分のことは見えないのだけれども。
出し惜しみしているというのは、すぐに看破されてしまう。
その結果、好意を引き出せないし、信頼も得られない。
この社会は所詮、人の集まりでできている。
だから、人というものに対して、もっと真剣にアプローチしていったら良いじゃないか。
現実主義とは、目先ばかり見ている人のことを指す。
もっと広い視野を持てば、目先だけを追ってたら、ひどい損失を被っていることに気がつくだろう。
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