筋トレと人生は似ている
私は体の線が細いので、最低限の筋トレを行うようにしている。
そして朝晩プロテインを飲んで、筋肉を育てている。
日々筋トレを行なっている中で、こんな着想を得た。
人間の肉体は、放って置くと、自然と緩み、たるんでしまう。
それを人間の意思の力で引き締めることが必要だと。
この原則は人生全てに言えるのではないか。
地球上には、重力が働いている。
私達が活動を行うには、その重力に逆らって、立ち上がって行動しなければならない。
人間は起きているとだんだん疲れてくる。
しかし、社会生活の中では、自分を叱咤してシャンとしている必要がある。
つい姿勢が悪くなってくるが、気をつけて背筋を伸ばしたりする。
この現象世界には、必ずある一定方向の力がバックグラウンドで働いている。
しかし、人間がこの世界で活動するということは、そういったバックグラウンドで働くエネルギーに逆らう必要があるということだ。
逆らうためには、自分の意思を働かせる必要がある。
自分の意思がどっかに行ってしまうと、ダラダラしてしまったり、猫背でボーッとしてしまったり、お腹周りがたるんできてしまったりする。
生きているということは、極論として意識的であるということ
人間は、意思を行使している者のことをどうも魅力的に感じるようだ。
「凛とした佇まい」という表現がある。
意識的であって、姿勢が整っていることで、風景の中から切り抜かれたような存在感を発揮している。
そもそも、人間として生まれて生きているということは、全体からの束の間の分離を経験しているようなものだ。
もちろん、意識の世界では深いところで全体とつながっているというのは、ほぼ常識内のことだと思うけれども。
もともと水中で暮らしていた生物が、陸に上がって生活するようになったというようなニュアンスだ。
つまり自然の摂理に逆らっている。
もともと水の中で生きていたのに、陸に上っても大丈夫なように頑張っているのだ。
筋トレで人生が学べる
そんな感じで、生きているということ自体が、全体とか、無限エネルギーと言われるような定常状態から、水面から飛び跳ねたトビウオのように、一瞬離れているようなものと言える。
生命として生きることはつまり、自由意志の力を行使しているんだということになる。
筋トレ一つで、そんなことが学べてしまった。
意思を発揮している人は、存在感があり魅力的に感じる。
バックグラウンドで働く力に負けないように、意思を働かせていきたいものだ。
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