絶えず襲ってくる焦燥感について【エゴは個人間に差がある】

目覚め

PCを閉じて、スマホも見ないでいたら、たちまち焦燥感に陥ってしまうかもしれません。
それでスマホに手を伸ばし、焦燥感から解放されるわけです。
何かをしてないといけないのではないかという急き立てが襲ってきます。
人によっては”寂しさ”と受け取る人もいるでしょう。
暇ができると寂しさを感じる人は、誰かと連絡を取ったり、街に出かけたりするかもしれませんし、タバコやお酒に走る人もいるでしょう。
無音に耐えられず、テレビをつけたり、音楽をかけたりする人もいると思います。
この、暇という感覚、焦燥感や寂しさはなかなか辛いものです。
これらの感覚はふと一人の時間ができたら襲ってきて、止まることはありません。
暇を紛らわすために何かをするというのは対症療法なので、原因は常にあり続けます。

しかし、私たちにとって本来は暇なんてないのです。
一瞬たりとも。
暇になれさえすればどれだけ楽なことか。
タイに横になってる仏像がありますが、あんな感じで永遠にくつろげたらどんなに良いか。
あの姿は私たちに大きな誤解を与えてしまいます。
悟りを開くと何もしなくても良いのだと。
そんなことはありません。
私たちは”今”にしがみつくという最も大事な仕事を、常に行う必要があるのです。
しかしながら、その点に気が付けば、焦燥感や寂しさなどは問題ではありません。

焦燥感や寂しさはエゴです。
赤ちゃんを例に考えるとわかりやすいです。
赤ちゃんはあまり泣かない赤ちゃん、ずっと泣き続ける赤ちゃん、色々います。
なぜこの子は大人しく、なぜこっちの子は泣き止まないのか。
そんなことに対して理由なんてありませんね。
大人になった私たちのエゴもそんな感じです。
悩みがなさそうに明るく生きているように見える人がいる中で、一方では内面の問題を抱えて生きづらさを感じている人もいる。
明るく振る舞える人が、全員エゴを克服できているとは考えられませんね。
そんな人でも時々は感情の渦に巻き込まれてる姿を見るからです。
つまり、私たちの内側の赤ちゃんの騒ぎ方が違うだけだと思うのです。
なぜ私には常に負の感情が襲ってくるエゴなのか?
不公平じゃないか?
そうです。どのようなエゴの傾向かは個人ごとに異なるので、公平ではないでしょう。
たまたま楽なエゴの持ち主は、あまり苦しまずに生きていける(ように見える)。
苦しみに満ちたエゴの持ち主は、心が弱いのか?
そんなことはありませんね。
常識的世界観からすると、泣き叫ぶ赤ちゃんタイプのエゴの持ち主は、メンタルが弱い人と位置付けられてしまいますが。
たまたま泣き叫ぶ赤ちゃんエゴを抱えた人は、その人の人生において、赤ちゃんのあやし方を知るチャンスを与えられたということなんです。
泣かない赤ちゃんを抱えてる人にとっては、そんなことを考え付くチャンスもありません。
表向きの幸福と、深い部分での幸福、どちらが良いのでしょうか。
その人ごとの世界観が全てですから、気づかずに人生を終える人は、それはそれで幸福な人生だったと感じるものなのかもしれないです。

絶えず襲ってくるエゴに悩まされることによって、私たちの本当の仕事(あり方)に気づくことができます。
毎瞬、夢から目覚めること。
今にしがみつくこと。
今、つまり”別の領域”に寛ぐこと。
その状態を維持しようとすれば、目覚めている間は暇などないことがわかります。
なぜならば、エゴは絶えず襲って来て、止まることはないから。

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