正解を求めすぎる思考パターン
人生には正解がない。
でも、正解を求めてしまう。
この世は結果がどうしても現れてくる次元だから。
その結果を見て、もっとこうした方が良かったのではないかという反省や後悔が生じてしまう。
その結果に至るまでに選択肢がもしあった場合には、違う選択を選んでいたらどうなっていただろうかという後悔も出てきてしまう。
正解がないから、間違ってしまうかもしれないから、選択肢を選ぶ時に迷って手が止まる。
まさに決断という言葉通り、決めて一方を断たなければならない。
過去に起こった経験も、悩ませる原因となる。
前回はこっちを選んで駄目だったから、今度はあっちにしてみようと、過去の経験を参考に逆の選択をしてみると、また間違ってしまう。
だからなおさらわけが解らなくなってしまう。
一度自分が決めたことに対しては、結果に執着しないという態度が必要になってくるのだと思う。
なぜなら結果はコントロールできないから。
だから、人生の選択は、結果に執着しつつ考えるのではなく、また過去を参考にするでなく、今の自分の心が指し示す方向性のものを選ぶべきだ。
一度決めたことは後悔しないように。
これは単純に、世の中的に良いことを選択するというのも違うのだ。
たとえ良いことをしたからと言って、結果がついてくるわけではないから。
その結果、報われない思いを増幅させることにもなる。
恋愛において正解を求めすぎて迷走していた
自分は正解を求めすぎていた。
結果が欲しくて、結果に執着していたんだ。
その一例が恋愛である。
私はもともと人生経験が乏しく精神的に未熟で、付き合っていた彼女に怒られながら、一つ一つ悪いところを直していった。
相手の心を推し量ること。
自分の欲求を通すだけでなく、相手に優しさをかけること。
相手に気を使うこと。
傾聴の技術。
会話は基本、相手に気持ちよく喋らせるようにすること。
そして相手の一度しゃべったことを忘れないこと。
彼女に嫌われたくないから、不器用な自分が彼女を傷つけ、泣かせたりした時に出た私への不満をその都度真摯に受け止め、彼女の掲げる”正解”を取り入れていった。
やがて「こんなに優しい人はいない」と言われるほど性格を変えたにも関わらず、上手く行かず、別れが訪れるのは変わりなかった。
最終的に結果が伴わないと、取り入れてきた正解が重荷になる。
「こんなに頑張って良い彼氏であろうとしてきたのに、なぜ?」
一方で他人の恋愛や夫婦間で繰り広げられる喧嘩の内容を聞くと、自分だったら絶対に相手に言わないような内容で罵ったりしている。
てか、今の自分だったら付き合っている彼女に対して怒鳴ったり怒ったりは絶対にしないと思う。
もうこうなってくると訳がわからない。
そう、やはり結果はコントロールできないのだ。
そう捉えたほうが、納得がいく。
付き合っている彼女と別れるのが怖い。
だから、正解らしきものを追い求めてしまう。
でも、それが結果を保証してくれるわけではない。
だったら、なるべく後悔しないような行動選択を、その都度行っていくしかないのではないか。
しかし、大事だと思うからこそ、離れたくないし、好きでいて欲しいと思う。
なかなか割り切るのは難しいし、完璧にできるわけではないだろう。
人生に正解はないのだから、行動にフォーカスを
正解がない人生において、正解を求めすぎると迷走してしまう。
また、正解があるように思わせる物事が世の中に多すぎる。
だから、正解があると勘違いしてしまう。
そんなものは人生においてない。
正解を求めすぎず、結果への執着を弱めて、その都度その都度の行動にフォーカスしていこうじゃないか。
結果に執着するのは、自分の責任を認めているから。
自分がいけなかったからこういう結果になってしまったと、捉える癖があるんだと思う。
根底には自信のなさがあるのかもしれない。
しかし結果はサイコロのようなもので、必ずしも狙った結果が出せないのなら、その考えは苦しみを生むだけなので、やめたほうが良い。
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