日常のゴタゴタに心を奪われず、全体を信頼する
日々の生活を送っていると、仕事上で何か問題が起きることもある。
恋人との関係がちょっとしたきっかけでこじれることもある。
そんな時、全てが上手くいかない気がして、つい投げやりな気持ちになってしまう。
でも、落ち着いて欲しい。
そんな場合は、全体を信頼する視点を持つようにして欲しい。
今までも大丈夫だったように、全体が最終的にうまく整えてくれるだろうと。
確かに、その時は大きな問題に見えることも、たった一週間が過ぎただけで、大した影響ではなかったと知るのだ。
だったら問題の渦中にいるときに、無駄に心を煩わすのは馬鹿らしい。
心が乱れたときでも、全体を信頼し、きっとうまくやってくれる、そう安心していればいい。
自分で自分の心に働きかけない限り、心は外部からの影響に翻弄され続けるのみだ。
現実は自分の頭が動かしているのではない
これは楽観主義ともまた少し違う。
なるようになっていく、という”あきらめ”と言うと少々きつい言葉だけれども、頭が望む現実通りにならない中で、全体がどうなっていくかは全体の思し召しによるという達観だ。
良いことも悪いことも、納得行かないことも、現実にはあって、だけど、トータルで見たらそれなりに恵まれている生活となっている、全体がそういう風にまとめてくださる、そんな考え方だ。
これはなかなか、若い人ではスピリチュアル的な考え方を受け入れている人でないと、できない考え方かもしれない。
年配者であれば、経験がそういう風に自然と思わせてくれる場合もある。
クヨクヨ悩んでも、当然自分の思い通りに現実が運ぶわけではない。
現実は、自分の頭とは別の、大きな全体が作り上げているものだからだ。
コメント