限られた人生の中でどう男のいきざまを晒すか
ネットで、栗城史多さんが8度目のエベレスト挑戦を目指すというニュースを見かけた。
栗城史多さんは、過去の登山で指を9本凍傷により失っているという。
「なぜそこまでして」という感想しか浮かんでこないと思うし、私自身、彼の挑戦は馬鹿げていると思う。
しかし、どうにも羨ましく、カッコイイと思ってしまったのである。
(2019/07/06 追記)栗城史多さんはこの登山中に体調を崩し、挑戦を断念。下山中に滑落死された。享年35歳。
男として生まれてきたならば、自分の身を削ってでも、何かに挑戦するという生き方ができれば本望なんじゃないだろうか。
私は少しでも彼の姿勢に近づきたいと思っている。
なぜならば、人生は有限だからだ。
人は永遠に生きられないからこそ、その限られた人生の中で、何かを残せたらと思う。
私達人間は、ただの生き物以上のものである
もちろん、この人生というものに埋没して、風景の一部のように、登場人物の一人として人生をまっとうするという生き方もありだと思う。
しかし私はそれでは死ぬ間際に絶対に後悔するとわかっている。
人は、所詮ただ生まれてただ死んでいくもの。
真実はそうなんだろう。
だから、世の中がわかっている風である大人たちは、平々凡々な生活を送るべきだと口々に教え諭す。
確かに、人間を生物としての観点から見たら、人間の生き死にに意味はないということは納得できる。
しかし、私達人間は、ただの生き物でもないことも事実だ。
脳みそが極端に発達しているために、自我をこじらせている。
本当はない”自分”というものを極端に大事にする。
私たちはそんな人間であるから、ただの生き物としての人生を越えて、人間としての幸福を追求するのではないか。
男のいきざまとは”いきがること”
ヤクザというのは、男性性の発露としては一番突出しているのではないかと思う。
ああやって肩肘張って突っ張って生きる生き様は、自然の法則上、基本的には破滅へと帰結していく。
裏切られたり、殺されたり、逮捕されたり。
それでも、男の中の男というのは、どれだけ長く生きられたかではないのだ。
その人生の中身が問われるのだ。
どれだけ自分の命を燃やして、騒いで突っ張っていられたか。
私自身は、私自身のできるカテゴリーで勝負していきたい。
女性から見る男のいきざま
そんな男のいきざまに対するこだわりを、一歩引いた目で見るのが女性である。
それは男女の生物学的な違いから端を発している。
女性は子供を産むことができるが、男性はそれは叶わない。
元々の女性が持つ生物学的な役割、特徴から、男性よりも人生観がより日常を堅実に生きることに根ざした考え方になっている。
男は子孫を残す能力がない分、人生の目的として、生物学上の目的、つまりなんでも良いから生き残ること、という本来の目的にあまり魅力を感じない思考構造となっている。
男性にとっては、いかに生きるかが大事であり、その目的を取られてしまったら、生きる活力が失われるのも同然なのだ。
だから、女性から見たらもしかしたら一見無駄なことに、男性はエネルギーを注ぎ込むのだ。
器の大きな女性は、旦那を好きなように遊ばせる。
旦那のやりたいことの邪魔をしない。
男性から男のいきがいを奪わないことで、生きるための活力を保たせているんだ。
それがどんなにくだらないことに見えても、女性には理解できないことであってもね。
しかし近年は、そのような腹の据わった女性が少なくなってきているようだ。
旦那を生活のために管理し、働かせるのみで、余暇の時間のささやかな趣味ですら否定する有様だ。
男は本来誰しもがオタク気質である。
車やバイクに熱を上げたり、プラモデルを作ったり、収集癖があったり。
しかし、そういう自分のやりたいことを通じて、男性はエネルギーを高めていることを理解してあげて、ぜひ手のひらの上で転がしておいて欲しい。
いきざまというのもまた、生きる上ではあまり意味のないことかもしれない。
でも、子供を産めない男だからこそ、こだわりを持つ場合があるのだ。
ぜひ女性は、そんな夢を追っかける男性を温かい目で見てあげて欲しい。
元々意味のない人生を意味づける
自分が生きていた証を残したいと、願う人は多い。
私も、命を惜しんで特徴の出ない人生を送りたくはない。
むしろ命を差し出して、意味のない人生にこちらから意味を持たせるのだ。
意味のない人生なんて歩まされるくらいなら、散ったほうがマシだ。
そう思ってしまうのも、人間の脳が作り出す幻想である”自我”の為せる技なんだろう。
でも、そうだとしてもいいじゃないか。
自我の役目とは、本来は別け隔てのないこの宇宙の中で、自分という個人がいると思い込ませることであり、個としての幸福を追求することでもある。
その人生という遊びの中で、生命全体から見れば意味のないことかもしれないけど、思い切り遊んで見れば良いんじゃないかと思う。
人々の記憶に残る過去の人物は、大なり小なりそんな姿勢で生きていた人たちである。
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