後悔をしない男の生きざまとは|ぬるま湯なんてクソ食らえ

この記事シェアする

男の生き様

限られた人生の中でどう生きざまを晒すか

ネットで、栗城史多さんが8度目のエベレスト挑戦を目指すというニュースを見かけた。

栗城史多さんは、過去の登山で指を9本凍傷により失っているという。

「なぜそこまでして」という感想しか浮かんでこないと思うし、私自身、彼の挑戦は馬鹿げていると思う。

しかし、どうにも羨ましく、カッコイイと思ってしまったのである。

男として生まれてきたならば、自分の身を削ってでも、何かに挑戦するという生き方ができれば本望なんじゃないだろうか。

私は少しでも彼の姿勢に近づきたいと思っている。

なぜならば、人生は有限だからだ。

人は永遠に生きられないからこそ、その限られた人生の中で、何かを残せたらと思う。

私達人間は、ただの生き物以上のものである

もちろん、この人生というものに埋没して、風景の一部のように、登場人物の一人として人生をまっとうするという生き方もありだと思う。

しかし私はそれでは死ぬ間際に絶対に後悔するとわかっている。

人は、所詮ただ生まれてただ死んでいくもの。

真実はそうなんだろう。

だから、世の中がわかっている風である大人たちは、平々凡々な生活を送るべきだと口々に教え諭す。

確かに、人間を生物としての観点から見たら、人間の生き死にに意味はないということは納得できる。

しかし、私達人間は、ただの生き物でもないことも事実だ。

脳みそが極端に発達しているために、自我をこじらせている。

本当はない”自分”というものを極端に大事にする。

私たちはそんな人間であるから、ただの生き物としての人生を越えて、人間としての幸福を追求するのではないか。

いきがるのが男の生き方

ヤクザというのは、男性性の発露としては一番出ているのではないかと思う。

ああやって肩肘張って突っ張って生きる生き様は、基本的には破滅へと帰結していく。

裏切られたり、殺されたり、逮捕されたり。

それでも、男の中の男というのは、どれだけ長く生きられたかではないのだ。

その人生の中身が問われるのだ。

どれだけ自分の命を燃やして、騒いで突っ張っていられたか。

私自身は、私自身のできるカテゴリーで勝負していきたい。

元々意味のない人生を意味づける

命を惜しんで、特徴の出ない人生を送りたくはない。

むしろ命を差し出して、意味のない人生にこちらから意味を持たせるのだ。

意味のない人生なんて歩まされるくらいなら、散ったほうがマシだ。

人々の記憶に残る過去の人物は、大なり小なりそんな姿勢で生きていた人たちである。

スポンサーリンク

この記事シェアする

フォローする