必死に空気を読んで、一体あなたは何を守っているのか
ただただ現実を生きることが、良いことだと思っているのだろうか?
そのあなたの大事にする現実とは何か?
現実から外れてしまうと大変なことになると多くの人は思っている。
しかし、外れたからといって、全てが終わりになるわけでもない。
てか、その状態になってみたら全然だいじょうぶなんだ。
傷つきもしないことに対して、ビクビクして身動きが取れなくなっていることのほうが、よっぽど不健康とは言えないか?
「そんなことをしたら誰かに迷惑がかかる!」って言葉も聞く。
迷惑ねぇ。確かにかかるだろうよ。
みんなで守ってる秩序を汚したとしたら。
でも、だからどうした、だ。
空気を読むことばかり一生懸命で、そんな人は生き方が見えてこない。
それで自分が失われてしまうのなら、元も子もないじゃないか。
いっその事、空気を読まないで自分の生きざまを貫いたほうがマシだ。
あなたは誰にも迷惑をかけずに生き抜けると思っているのか?
第一、そんなことを考えている人ってのは、「自分は人に迷惑はかけない」っていう思い上がりがあるのではないか。
人間は、生きている限り必ず迷惑をかけている。
まずおぎゃあと生まれたら、一人では生きていけない。
親の手をかけさせて、やっと生きることができる。
普段の生活でも、自分の存在を他人に気にさせている。
もうそれは、いるだけで相手に注目されてしまうのだから、それによって何かしらの気を使われてしまうのだから、避けようがない。
それだけではない。
人間は地球にとって、何か良いことをしてるのか?
地球上のものを食べ、食べて無くなった分を再び増やそうともせず、出すのはゴミと糞尿だけ。
そのようにして環境は汚染され、しかも人間は空気も汚す。
自然のエコシステムがおっつかないくらいの酷さで。
人間は生きている限り地球環境もそうだし、周りの人間に対しても迷惑をかけている。
そこに気付くことができれば、いくら空気を読もうが、すでに迷惑はかかってるんだから、さらに上乗せしてかかったとしても、「ごめんね」と心のなかで思って、空気を読まないで好きなことをやったら良いんだ。
空気を読まないで人生を生きろ
ここで言いたいことの趣旨は、迷惑がかかるのを恐れて自分の行動を制限するなってこと。
誰でもいい、取り替えの利く、扱いやすいが印象に残らない人間になるより、あなたというものを思いっきり表現したら良いじゃないか。
表現するということは、万人受けされることはない。批判も浴び、ときには賞賛も受けるだろう。
その、批判の部分をやたらに怖がって動けなくなってはいけない。
さあ、思いを実現していこう。
どうせやがては死ぬ人生。
悔いのない方がいいじゃないか。
空気を読まないで、自分を貫いていこう。
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