あなたの人生は、人様に見せられる物語?
あなたの今までの人生を振り返って、一冊の本にできるような、綺麗に収まる人生だと言えるだろうか?
物語として意味のあるような、読み進めて行けるような人生記録だろうか?
私の場合は、全然そんな風になっていない。
物語にもならないような無意味な理不尽さや矛盾に満ちている。
物語にもならない不運に見舞われた時、自分の人生を汚されたような気持ちになる。
私だけじゃなくて、きっと多くの人の人生もそうだろうと想像する。
人生における無意味で理不尽な出来事にどう私たちは反応するか
何か降りかかる出来事に、多くの場合は理由など無い。
突然の災害に遭った場合なんて、一夜にして生活がガラッと様変わりしてしまうが、そこに自分自身を納得させられるほどの理由なんて見つからない。
アクシデントなら、まだ性質上突拍子もなく降りかかることだから諦めも付くかもしれない。
しかし、人間関係において何か災いが降り掛かってきた時に、どう思うか。
例えば、すごい幸せな恋愛関係だと思っていたのに、ある日を境にパタッと彼女の気持ちが変わってしまったとする。
相手の男の方は、そこに理由を求める。
しかし、大体のケースにおいて、女性をいくら問い詰めても、答えをはぐらかされるか、より苛立ちが募る場合しか無いだろう。
今まで彼女に尽くしてきた時間、労力、お金。
自分なりに相手のことを思いやってきた気持ち。
そういったものを一切無にされたことに対して、バカにされたような思いを抱く。
普段の人間関係で起こる問題は法律がないから、とんでもない無法地帯だ。
小説にすらならないくらい脈絡がない。
しかし私たちは誰にも頼らずに、生身で対処していかないといけない。
人生は、私たちに時折、理不尽さを味あわせる。
クソだと吐き捨てたくなるような出来事に見舞われる。
人生において物事は変わっていく方が自然
しかし人生において、あらゆる物事は変化していくものなのだ。
諸行無常なのである。
「今ある幸せが、ずっと変わらないでいて欲しい」
と願うのは人間の心である。
だけども世の理はそうなってないから、執着するだけ苦しみが生まれる。
何か災難が降り掛かってきた時、なぜそれが自分に起きたのか人は考えようとする。
考えて、答えが出ればそれでいいけど、はっきりとした答えが見つからなかったら、あまり終わった問題にいつまでも心をざわつかせないほうがいい。
出来事は起こってしまったのだ。
その事自体はもう変えられない。
ある人が牛乳瓶を流しに放り投げて、中の牛乳が全部こぼれてしまった。
そしてある人は言った。
「こぼれたミルクを悔やんでも無駄だよ!」
そう、ミルクはもう二度と元の瓶に戻っていって収まることはない。
あらゆる物事は変化していくのがこの世の理と、自分に言い聞かせよう。
あなたはそれで終わりではない。
理不尽さにまみれた出来事によって、自分の価値が台無しにされたと感じたとしても、終わった出来事に意味を見出そうとして、自分を慰め続けるのはやめよう。
よく目に入ってくる他人の人生は、大抵は脚色された作品を見させられているだけなのだから。
一つの終わりは、また新たな始まりがあるということなんだから。
変化を受け入れよう。
あなた自身が、また強く生きていくために。
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