人間は社会生活の影響でブレていきやすい
人間というのは、社会生活を送る中で、自分を見失いがちだ。
外からの影響を否が応でも受けてしまうので、自分がちょっとずつ変化する中で、やがて自分がわからなくなる。
地に足がついていない感じが拭えないのだ。
でも、わかっていてもそこから抜け出せない。
自分以外の人は、ブレずに生きているように見えるので、自分の精神的な弱さを責めたりもしがちだが、これは誰にでも起きていることだと思う。
社会に影響されて、ブレて流されて生きていることに、疑問を感じないだけなんだ。
しかし心が繊細な人間は、自分がわからないという居心地の悪さを感じ、苦しんでしまう。
では、どうしたら自分がわかるようになれるのだろうか。
わかるとは、別のものとの共通点を見出すことだ
まず、人間が”わかる”ためには何が必要かを考えてみる必要がある。
人間が何かについて”わかる”、つまり理解するためには、何か他の物を持ってきて、関連付けるということをやっている。
人間の脳は、そのものを直接見て、理解することはできないようになっている。
例えばりんごを見て、これはりんごであると理解するためには、あなたはあらかじめ、りんごはこういうものである、という概念を知っている必要がある。
この場合は、りんごらしき物体と、脳内のりんごの概念を照らし合わせて、りんごであると認識している。
また、脳内の概念に限らず、物と物同士を比べて、共通概念を導き出すということもやっている。
私は過去に、模造という言い方をして説明したことがある。
違うコンテンツ同士の中に、同じ要素を見出すことを模造と表現したんだ。



自分がわからない時は日記を読もう
ではそういったことを踏まえて考えると、自分をわかるためにはどうすればいいかと言うと、自分に似た何かを持ってくればいいということになる。
その一つとして、日記があげられる。
過去の自分の記録を読み返すことで、自然と今の自分と比較することになる。
自分をわかろうとして、自分の中だけに居座るのが失敗の原因なんだ。
自分以外の何か別のものと、自分との比較作業によって、俯瞰する視点が生まれる。
過去の自分の中に、今の自分を見出すことによって、徐々に自分を取り戻すことができるだろう。
だから、日々自分の記録として、日記をつけておくことは未来の自分の助けになる。
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