何かの技術習得に打ち込む経験は、誰しもが経た方が良い。
この日本社会は、本当の努力もせず、なんとなく生きて来れてしまう。
だから、自分は努力をしたと思っていても、それは本当に頑張りきったのかどうかはわからないのだ。
他人の努力と比較する術は無いしね。
義務教育も悪くはない
義務教育で得られる経験は、そういった意味では無駄にすべきではない機会だと考えている。
部活動であったり、受験勉強であったり、その時は必死に打ち込んだら良いのだ。
1つの学びを得るために、どれだけの力の入れ具合が必要なのかと言う感覚が身に付くから。
義務教育には色々と問題も指摘されることが多いが、子供の適切な成長のためには、とても良い機会とすることができる。
リコーダー1つ取ってみてもわかる。
完璧に吹くために、どれだけ繰り返し練習が必要なんだろうか。
中途半端では本番の発表でミスなく吹くことができない。
大多数の学生たちは、なんとなく平均点をとることでうまくやってきちゃうのだが、ごく一部の優秀な学生は、技術習得のために必要な努力量を肌感覚で知る。
それが、高校、大学、そして社会人へと、大きく差が開いていく原因となる。
本当の努力とは、報われるまでにどれくらい要するか
本物の努力をしたことがない人間は、頑張ったつもりになって、ちょっとやったらすぐに疲れて諦めてしまう。
成功に必要な努力量が分からないから、知らないから、ちょっとやって無駄じゃないかと思ってしまう。
何か1つのことに打ち込んで、達成感を得る経験。つまり、成功体験が必要だ。
1つの道に秀でた人間は、それ以外の分野を手掛ける時でも、成功に近い形でやり抜く可能性が高い。
なぜなら努力量を知っているからだ。
これはあなたの人生を助けるはずだ。
そのために必要な経験は、子供時代に培うことができる。
大人になってからでは、時間が少なくてなかなか難しいのだ。
大人になってから気づいた場合は、時間はかかるが今からでも遅くは無い。
必要性に駆られてって言う場合は、やっぱり入る力も変わってくるから。
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