他人は尊重するのに、自分はどうなってるの?
他人を尊重できる人は、他人を個の人格として認められる、ということだ。
他人を、ちゃんと自尊心を持った個人として、接することができる。
そんな思いやりができる人にも関わらず、自分に対しては自分を尊重できてない場合がある。
他人に優しく自分に厳しくは、前提としての尊重がなければやっちゃダメなんだ。
自分のことだって、独立した個人としてちゃんと尊重してあげないといけない。
他人にしていることと同じようにね。
自分に対してひどい言葉を投げかけてないか?
どうしても自分を尊重できてない人は、決して他人には浴びせないような辛辣な言葉を自分に容赦なく浴びせかける。
「なんでこんなこともできないんだ!」
「なんで忘れたんだ!馬鹿じゃないのか」
このようなセリフをもし他人に浴びせたら、相手は怒るか傷つくだろう。
萎縮してしまって、その後のパフォーマンスも落ちるに違いない。
こんなありえないことを、平気で自分自身に対して行なってしまっているんだ。
セルフコーチングとは、自分を個として尊重すること
自分自身に対して前向きな言葉をかけてあげることをセルフコーチングという。
何かうっかりミスをしてしまっても、
「おっと、自分らしくないじゃん」
「次は間違いなくうまくいくよ」
このように、自分自身を確立された個人に対するように、声掛けを行う。
この場合は、自分自身を個として尊重できている。
間違いなく、自分も一人の人間なのだ。
他人と同じように。
だから、他人に接するように、自分にも個としての尊厳を認めて接するべきなんだ。
逆にそうじゃないと、あなたは一人の人間だけをいじめていることになってしまう。
フェアじゃない。
前も書いたように、私達は自分の中に別の人格がもう一人いるようなものなんだ。
だから私達がやらなきゃいけないことは、本当の自分と別人格の同一視をやめ、きちんと別人格を認識し、その彼彼女をちゃんと尊重して扱ってあげることだ。
世間の美徳が人を追い込む場合もある
謙虚であれ。
自分に厳しく、他人に優しく。
これらの美徳は、心の弱い人にとってはとても負担になってしまう。
心の強い人は、心の弱い人の気持ちがわからないんだ。
みんな、自分と同じだと思ってしまうものだから。
それに見合わない人は、弱い、おかしい、と言って排除に回る。
謙虚であれと、同じくらい頻繁に、自分を尊重しろ、とも叫ばれなければならない。
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