尊敬する人がいない。それがどうした【引け目は感じなくていい】

もっと気楽に アイデア

どうも私達の暮らしているこの世の中は、尊敬する人を持たなければ普通じゃないらしい。

尊敬する人がいないと口にすることが恥な社会

会社の入社面接などでは、尊敬する人がいることを前提として、「あなたの尊敬する人は誰ですか?」などと質問をしてくる。

そこで話に詰まってしまうようでは、マイナスの印象を持たれ、面接はきっと失敗に終わるだろう。

 

私自身、周囲の人間に聞いてみたこともある。

お前の尊敬する人は誰だ?」と。

父親だと答えるヤツが中にはいた。

そいつは本心でそう思っているようだったので、それは素晴らしいことだと思う。

しかし、私のように尊敬する人が思い当たらなくて、いない場合はどう取り扱えばよいのか?

大人の表と裏を見てきたから尊敬できない

尊敬の念

自分の人生を思い返してみて、心から尊敬する人というのは、誰一人思い当たらないのだ。

なんというか・・・どうしても、心の裏側というのが見えてしまうことがあって。

私は子供の時から、大人の裏の部分というものに敏感だったのかもしれない。

表向きのきれいな部分だけじゃなくて、だいたいの大人は、本音の人間らしい弱く汚い部分も併せ持っていた。

そして、その弱い大人たちは、大抵子供に対して遠慮なく元々の力の差を利用して来た。

 

父親は子供である私に対して、何かトラブルがあった時に自分を守るために平気で嘘をつき、しまいには私のせいにして責めるのだった。

自分はまだほとぼりが収まっていないのに、しばらくしたら普通に父親面に戻って話しかけてくるのも気に入らなかった。

あんたが勝手に水に流しても、俺の心はくすぶったままなんですけど。。。

 

ある小学校の先生は、クラスの生徒を洗脳して人気を集めるようなことをしていた。

大人からすれば子供の心を操ることなど、意図すればたやすいことなのかもしれない。

自分の意のままにクラスを支配し、その先生はその学年で一番人気になった。

その先生の意にそぐわない生徒は、適切な指導を与えることなく冷たく突き放した。

そうやって、自分が教師としてやりやすいように、環境を支配していたのだ。

ハッキリ言って、最低である。

そのことに気づいている生徒は誰もいなかったと思うが、私だけは見抜いていたよ。

 

またある小学校の先生は、運動会の練習を厳しくやらせてた割には、私の真剣さを陰でからかっていたのが聞こえた。

子供だと思ってバカにしてはいけない。

子供こそ敏感で、小さなことに気がつくのだ。

それ以来、真面目に学校行事に取り組む意欲が削がれてしまったと思う。

 

大人たちは子供に対して、教えを説き、時に力を振るったり罰してくるが、そんな彼らは決して優れた人物などではなかった。

ホームルームで、生徒に対して教育者顔して説教する彼らが、時に完璧でない姿をさらけ出すのだ。

学校の先生には、先生だからといって決して人格者ではないということ、また大人は尊敬に値する人々でもないことを十分に学ばせてもらった。

それが私が義務教育で得た教訓だ。

 

私が言いたいのは、尊敬する人がいないからといって、何も恥じる必要はないということだ。

なぜ、今までの人生の中で当然のごとく尊敬に値する人間が現れるのだというのか。

しかももし出会ってこなかったとしても、それを当人のせいにするのが世間の見方だ。

つまり行動範囲が狭く、色々なことへの挑戦が足りないと見なされるのだ。

 

尊敬する人が誰かしらいないといけない、という固定観念も問題だと思う。

いいじゃないか、尊敬する人がいない人間がいたとしても。

今までの人生で遭遇してこなかったのでいないです、と堂々と言えばいいのだ。

尊敬する人は自分がなりたい人物像の可能性

尊敬する人

尊敬する人=目指す人物、ということになるのかもしれない。

そういう意味だと、私は目指す人物がいない。

少年時代に大人の汚い部分ばかり目にしてきたもんだから。

私は私自身になりたいと思っている。

言ってしまえば、私自身のピュアな部分を尊敬しているのかもしれない。

また誰がすごい、というよりも、自分自身がすごい人物になる必要があると思っている。

そう、自分自身を成り立たせていくのは、自分以外いないのだから、自分株式会社社長として、しっかりと責任を持たないと。

 

私はきっと、そういうテーマの人生を生かされているのだと思う。

もし、自分自身にもっと誇りを持てているならば、誰か素晴らしい人を見つけて尊敬できるようになるのかもしれない。

 

何にしても、尊敬する人はいてもいない場合でもどちらでも良いと思う。

尊敬する人が必ずいなきゃいけないということではない。

人はありのままの状態で十分価値があるはずなのに、世間というものは一定の型にはめて、それに合わないものは排除する傾向がある。

そんな世間のルールをルールとして見破り、そんなものには何の価値もないと認識しないといけない。

人間はどうであれ元々価値がある。

あなたに、尊敬する人物がいたとしても、いないとしても。

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