尊敬する人がいない。だからどうした【引け目は感じなくていい】

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もっと気楽に

どうもこの世の中は、尊敬する人を持たなければいけないらしい。

尊敬する人がいないと口にすることが恥な社会

会社の面接などでは、尊敬する人がいることを前提として、「あなたの尊敬する人は誰ですか?」などと質問をしてくる。

そこで話に詰まってしまうようでは、マイナスの印象を持たれ、面接はきっと失敗に終わるだろう。

周囲の人間に聞いてみたこともある。

「お前の尊敬している人は誰だ?」と。

父親だと答える人が中にはいた。

本心でそう思っているようだったので、それは素晴らしいことだと思う。

しかし、私のように尊敬する人が思い当たらない場合はどう取り扱えばよいのか?

大人の表と裏を見てきたから

自分の人生を思い返してみて、心から尊敬の念を抱いた人というのは、誰一人思い当たらないのだ。

なんというか、どうしても、心の裏側というのが見えてしまうことがあって。

私は子供の時から、大人の裏の部分というものに敏感だったのかもしれない。

表向きのきれいな部分だけじゃなくて、だいたいの大人は、本音の人間らしい弱い部分も併せ持っていた。

私が言いたいのは、尊敬する人がいなかったからといって、何も恥じる必要はないということだ。

なぜ、今までの人生の中で当然のごとく尊敬に値する人間が現れるのだというのか。

しかももし出会ってこなかったとしても、それを当人のせいにするのが世間の見方だ。

つまり行動範囲が狭く、色々なことへの挑戦が足りないと見なされるのだ。

尊敬する人が誰かしらいなければいけない、という固定観念も問題だと思う。

いいじゃないか、尊敬する人がいない人がいたとしても。

今までの人生で遭遇してこなかったです、と堂々と言えばいいのだ。

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尊敬する人は自分がなりたい人物像の可能性

尊敬する人=目指す人物、ということになるのかもしれない。

そういう意味だと、私は目指す人物がいない。

私は私自身になりたいと思っている。

誰がすごい、というよりも、自分自身がすごい人物になる必要があると思っている。

そう、自分自身を成り立たせていくのは、自分以外いないのだから、自分株式会社社長として、しっかりと責任を持たないと。

私はきっと、そういうテーマの人生を生かされているのだと思う。

もし、自分自身にもっと誇りを持てているならば、誰か素晴らしい人を見つけて尊敬できるようになるのかもしれない。

何にしても、尊敬する人はいてもいなくてもどちらでも良いと思う。

いなきゃいけないということではない。

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