日記に対する憧れがきっかけで
最近、表三郎さんの「日記の魔力」という本を読んだ。
読んでみて驚いたが、この本はすごい。
表三郎さんは日本一の日記オタクと呼べるほどの人物だ。
なぜ日記を付ける必要があるのか、日記を付けるとどんな良いことがあるのか、そして日記の実際の付け方や活用方法などが、非常に納得の行く形で解説されていた。
これに触発されて早速日記を付けているところだが、この本は日記に限らず、人生全般においても役立つような著者の考え方が散りばめられている。
その中で、ガツーンと頭に衝撃を受けた部分があった。
日記を書く意味は、変化に富む毎日を記録するため
多くの人は、「自分は平々凡々とした日々を過ごしている」と思っている。 だが、それは間違いだ。 おもしろくない人生を送っている人など実は一人もいない。
なぜこれほどまでして日々の細かいことを書くのか。 それは、自分の日常に「書く値打ちがある」と思っているからだ。
誰の人生であろうと、その日常は、記録に値するのである。
そう。確かに私達は代わり映えのない日々を送っていると思っている。
しかしそこで表さんは「いや、誰の日常であっても、非常に価値の高いものなんだ」と言ってくれる。
だからこそ、日記を書く意味があるんだと。
私はこのことが非常に大事な発想の転換じゃないかと思った。
物事に対する見方というのは、主観的なものだから、その人がどういう方向性で物を見るかによって全然変わってくる。
そう言った部分で、私達の多くは、毎日の生活を同じことの繰り返しで退屈なものだと、当たり前のように捉えてしまっている。
ここで発想を転換させて、私達は劇的な変化に富む毎日を送っていると捉え直してみる。
自分がどういう見方をしているかで、見え方は変わってくる
名著、7つの習慣でも言われている通り、私達はこの世界をありのままで捉えているのではなくて、各々が色眼鏡を通して見て認識している。
私達は「代わり映えのない毎日」という色眼鏡で毎日を捉えているからこそ、本当に代わり映えのないようにしか感じられないのだ。
そこで、「変化に富む毎日」という色眼鏡に変えてみれば、日々の差異にも気づきやすくなるし、ちょっとした変化にも感動することができるようになるだろう。
そして、もし人は誰しもが劇的な毎日を送っているとすれば、それは日記として記録しておかないわけにはいかない。
表三郎さんがパラダイムシフトを与えてくれたんだ。
私がまだ1週間だけれども、日記を続けられているのは、上記の内容が完全に腑に落ちていて、毎日の出来事を記録しておくほどの価値が、自分の人生にはあるんだと認識できているからだ。
ぜひ皆さんも、自分の送っている生活は毎日が変化に富んでいると認識を改めてみてはいかがだろうか。
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