お天道様は見ているという意識

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神は見ている

お天道様は見ていると思っていた

おそらくは、幼少の時は人は誰しも持っていた感覚だと信じている。

それは「お天道様は見ている」という感覚だ。

何かいけないことをした時に罰が当たるのではないかと、素直に信じていた時代はあなたにもあったのではないだろうか。

しかし、大きくなるにつれて、少しずつ人は神を試すようになり、少しぐらい悪さをしても、全然平気だと悟った人は、いつしか幼少期に持っていた神を畏れる感覚を失っていく。

実際に成人になった頃には、自分の利益や欲望を満たすことばかり考え、そのためには何だってやればいいというような、妖怪のような存在へと成り下がる。

もともとは天使のような心を備えていたと言うのにね。

優れた人は尊敬する他者の視線を意識している

人間は、残念ながら自分一人の力では立派な精神を確立させることなどできない。

人の心とは、かくも弱いものなのだ。

サッカー日本代表の長谷部誠選手は、高校を卒業してすぐにJリーガーになったが、そのプロ1年目の時にお爺さんを亡くされた。

長谷部選手は、なんとかお爺さんに試合に出ている姿を見せたかったが、お爺さんが生きている間に試合に出ることはできなかった。

自分がとても不甲斐なく感じたようだが、その後はいつも、お爺さんが見てくれていると思い、必死に練習を重ねたそうだ。

第三者の目があれば、なかなか油断ができなくなるものだ。

特に、それが尊敬している人物であったり、神様のような存在であれば。

しかし「今は自分ひとりしかいなくて、他に誰も見ていない」などと考えたならば、人はどこまでも堕落していく。

自分を含めた凡人は、誰かが見てくれていないと必死になれない。

仕事であれば、怖い上司がいれば緊張してキビキビ働くが、上司が不在となれば同僚とくっちゃべってばかりいるのである。

長谷部選手のすごいところは、誰も見ていないことろでも、お爺さんの存在を意識して頑張れたことだ。

長谷部選手が嘘みたいに模範的な人間であるのも、そこら辺が大きく関わっているのは間違いない。

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もう一度、お天道様は見ているという意識を取り戻そう

お天道様は見ているという意識は、神を畏怖する感覚と近いかもしれない。

そう、私達はテクノロジーを大いに発達させ、もはや神を畏れることなく、自分たち人間がこの世界で最強だという勘違いの中で生きられるようになってしまった。

その結果、肝心の精神の方は救いようのないほど堕落しきってしまったのだ。

私達は、他人の目を忘れるとろくなことをしない。

自分で自分を律することなど、聖人でない限り無理なんだ。

「お天道様は見ている」、「神様は見ている」、「お爺さんは見ている」、何でもいい。

ぜひ、誰しもがかつて持っていた、第三者からの視線を畏れる意識を取り戻そうではないか。

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