人生の生き方は自由だから難しい、ということもある
生き方は自由である。
自由であるがゆえに、一部の不器用な人間は困ったことになる。
あらゆる人間が色んなことを言うため、うかつに他人の言うとおりにやってみると、手痛い思いをすることになったりする。
しかし、決してアドバイスした人が嘘をついたわけではない。
当人にとっては、自分の経験や知識から得た真実を話しているに過ぎないのだ。
不器用な人間が知らない人生の生き方
不器用な人間は、人生の泳ぎ方とは人それぞれであり、しっくり来る自分固有の泳ぎ方を見つけ出さないといけないということを知らない。
なぜならそんなことは誰も教えてくれないからだ。
不器用な人間は、誰かから教えてくれないと失敗するまでわからない。
世の中の他人は、皆自分自身の中の真実こそが他人にとっても真実であると疑わないので、正しさを口々に語る。
不器用な人間は、それを全部真に受けるのである。
そして混乱する。
親も自分とは違う人間
親ですらも、自分とは違う他人だという認識を持つことは大事だと思う。
遺伝子上は、父親と母親のDNAを半分ずつ受け継いでいるので近いはずだが、「はず」というだけであり、決してイコールではない。
大学や研究所などの実験の現場にいれば、理屈通り行かない結果が出ることもあるのは日常茶飯事であることがわかる。
私自身は、両親とは全く相容れない性格であり、今でも、世の中の誰よりも苦手とする人たちである。
親というものは、子供を自分のコピーだとして、大いに自分の見方考え方を洗脳するものだが、それが子ども自身の資質にピッタリ合ってるかはわからないのだ。
そういうことがわからずに、私の未成年の時代は全く浮かばれず、苦渋に満ちたものだった。
私自身の能力が欠けているのではないか、とも思い込んでしまっていた。
しかし、人間の体は発達する。
脳も自然と成熟する。
大人になって、自分の頭で多少考えられるようになると、他人の手法ではなく、自分に合った手法を取るべきではないか、ということに徐々に気がついていった。
例えば、私の両親は、「うまくやりなさい」ということを良く私に言っていた。
多少ずるをしたり、都合の悪い部分は隠したり、見せ方を工夫することで、特を得なさいという教えだ。
しかしながら、私は不器用な人間なので、うまくやろうとするとだいたい不格好になったり、相手にバレバレになってしまって、逆に大いに信頼を損ねる結果ばかり得ることになった。
それよりも、自分は不器用な人間であることを認めて、器用にしようとする努力よりも、ありのままの自分、飾らない自分を出したほうがいい結果が得られるのではないかと思い、それからは後ろめたいことを作らないようにしたりして、いつも正直でいるようにした。
そしたら大きな変化が起こった。
どっしりと構えられるようになり、安心のなか、生活が送れるようになったのだ。
正直でいることで、短期的な利益は逃すことがあったかもしれないけど、後々に信頼残高と言う形でたくさんお返しが来ることのほうが多かった。
生き方の鉄板手法を見つけ出し、自分なりに変える
人がなんと言おうと、自分に合ったやり方を取り入れるべきである。
他人が言うことは、あくまで参考意見として聞いておく。
当然その中には正しい意見もあるのだから。
あなたにとっての真実とは、あなた自身に合ってる真実のことである。
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