簡単に意識を明け渡してはならない

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意識を明け渡す

意識をどこに置くか、というのは人間にとって非常に大事なことだ。

大事なこと、肝心要であるのに、誰も言う大人がいないから、おかしなことになっている。

というか、大人面している人間たちも、わかっちゃいないのだ。

科学中心、理屈中心で来ているから、目に見えないものは、考えるのもはばかられるし、口に出せないと思いこんでいる。

おまけに倫理観もないから。

生まれ持ったセンスで、意識をコントロールできる人間が人生でうまくいき、センスのない人間が外的要因に翻弄されながら損をさせられて生きている状態だ。

今の社会のあり方が原因

まあ、今の経済の成り立ちが、マーケティングによって人々の注意を引き、買わないと損をすると思わせるようなことをやっているから、人々は飼いならされ、注意の置き所に慎重さを持つことをしなくなっているのだ。

それ以外にも、我々を刺激しようとするコンテンツが世の中には沢山溢れている。

卑猥な欲望を刺激するようなものや、金銭欲、食欲もそうだ。

我々の注意を引きつけて、欲望を煽り、消費をさせるようなパターンだ。

それで上手くいった企業が褒められる社会だから、もうどうしようもない。

しかも罠に引っかかりやすくなるようなもので、我々の生活は囲まれている。

テレビ、パソコン、スマホ。

パソコンを閉じたらスマホを眺め、一日中何かに注意を奪われている状態になっている。というか、させられている。

注意力は、簡単に他人に明け渡してはならない。

そんな時、心はスキだらけなんだ。

自分のコントロールは、完全に相手に移っている。

鈍感な人間は、それでなんとも思わないだろうが、敏感な人間は何か異常を感じ始める。

それでメンテナンスだと言って、癒やしだの気晴らしだのなんだので、また金を使わされるんだ。

それでは永遠にお金持ちにはなれないし、生きる気力も湧いてこない。

意識のホームポジション

意識は、自分自身に置かないといけない。

自分を見ていないから、自分を見失うのだ。

外部環境は、注意を引きつけようとするもので溢れかえってるから、どうしても気を引っ張られてしまうので、チューニングする必要がある。

瞑想というのはまさにそのためであるし、瞑想という形をとらなくても、目をつぶって、心の感覚に耳を澄ませたり、肚に意識を持ってきたりしたらいい。

それが、自分を大事にする、ということの始まりだ。

意識の力は自分自身の強力な資源であると理解し、大事に大事に保全しながら、養いながら生活していかなければいけない。

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