本当の自分なんていない
私達が自分自身だと信じているセルフイメージというものがある。
臆病な自分、人より美しい自分、人それぞれあると思うが、これって、本当は確固たるものでもなんでもない。
今までの人生で積み上げてきた自己イメージであって、それは人生においてのイベントで、他人や親からの評価がくだされて、それを自分が受け入れていく中で形成されたものだ。
家の家事を手伝ったら「いい子だねぇ」と褒められた経験があるなら、喜んで家事をする人間になるだろうし、自分自身苦もなくそれをできる人間だと思っている。
学校で友達から「変わった顔してるね」って言われたら、それまで気にしてなかったのに、自分の顔は人より変わってるんだ、という見方を受け入れてしまい、それ以来人から変に思われないように、なるべくうつむいて、目立たないように隠れて過ごすようになるかもしれない。
このように、他人からの評価を信じ、受け入れた結果、自己イメージが作り上げられていく。
これは脳科学的に、洗脳と同じことが起こっていると言えるのではないだろうか。
このように考えると、自己イメージとは全く自分自身ではない。
生まれたばかりの時には当然無いもので、後天的に作り上げられたものである。
しかし、私たちは、セルフイメージこそ自分自身と信じて疑わないし、自分とは確固たる存在であるのだから、変えることもできないと思いこんでいる。
アメリカ人の強固な自我はどのように形成されているのか
ところでアメリカ人は、日本人と比べて自信に溢れているように見えるだろうか。
私は自信満々に見える。
同じ人間なのになぜかというと、これは強烈な神への信仰によって自我を支えているからではないかと思う。
神への祈りというのも、自己洗脳と言えるほどに熱心な祈りであるから、神は存在すると信じきれる。
見えない神の存在を心から肯定するためには、自分を洗脳するというところまで持っていく必要がある。
2つのゲシュタルトは共存できない
ここでゲシュタルトについて話題を出しておく。ゲシュタルトとは、
一つの図形やメロディーのように、個々の要素の総和以上のまとまった意味と構造をもち、変化・変換を通じて維持される形姿。形態。
出典 三省堂大辞林
という概念で、自分自身が認識している一つのまとまった意味と構造のことを言う。
ここでこの有名な絵を見て欲しい。みなさんは、この絵が何に見えるだろうか?
若い女性に見える人もいれば、醜い老婆に見える人もいるんじゃないかと思う。
ここで注目すべきなのは、若い女性に見えた人は、この絵を老婆には見ることはできないし、その逆もしかりということだ。
若い女性というゲシュタルトを見ている人は、この絵から別のゲシュタルトを、同時に見ることは出来ない。
ここに、ある物の見方を採用すれば、別の見方は見えなくなるという脳の仕組みが発見できる。
つまり、自分が思っているセルフイメージについても、同じことが適用できるのではないか、ということだ。
都合のいいように自分を自由に変えてしまえ
他になりたい自分がいるのなら、好きなように書き換えてしまえばいい。
それでより良く生きられるなら、そうすればいいじゃないか。
催眠術をかけられた人間は、容易に別人格になってしまうのをテレビで見たことがあるだろう。
その例によっても、人格とは固定されたものではないことがわかる。
具体的な自己洗脳の方法は、専門書などを参考にしてほしいが、基本的には目標設定とセルフトークを変えることで可能となると思う。
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