居場所を持つことにより距離感が生まれる
日常の出来事に振り回されて、精神を消耗していないだろうか?
あまりに現実的な問題が日々迫ってきて、疲弊していないだろうか?
自分の居場所を持つからこそ、客体との距離感を保てて、動揺しない心を保持し、自分の居場所を作ることが可能となる。
この自分の居場所とは、意識としての自分の居場所である。
つまり、別の言い方をすると”いまここにある”ということだ。
もし、”いまここにある”という感覚がなければ、出来事に暴力的に振り回され続ける。
そして渦中にはまる。
出来事との距離感が保てないから、起こる出来事と自分が一緒になってしまう。
物事を客観視するとよく言うが、客観視できるためには、自分の居場所がないと無理だということはわかるだろう。
その場の状況の中にいるのではなく、それを上から俯瞰するような居場所だ。
出来事に反応して感情が想起される
起こる出来事に応じて、自分の感情が反応する。
その渦中にはまり込んで振り回されるのではなく、ホームポジションにしがみつこう。
それが、自己コントロールということだ。
今まで述べたことを、自然にやってのける人と、全く意識せずに感情に振り回されて生きている人がいる。
精神が強い弱いの問題ではなかったんだ。
対処の仕方を知っているか知らなかったかだけの問題だったんだ。
感情に振り回されて来た人、おめでとう。
そんな人は、自己コントロールの仕組みを知るチャンスを得たってことだ。
「知る」とは、わかっているということ。
つまりわかっていることが言語化でき、それを人に説明できるということだ。
そしてわかっているということは、いつでもそれを再現することが可能だということにもなる。
あなたは強みを得ることができたんだ。
動揺しない心をいかにして持つかを、他人にも教えることができるのだから。
自分に目を向けさせる文化がない今の日本
欧米人と会話する機会を得ると、向こうの人の自己コントロール力に驚くことがある。
いつも明るく振る舞うこと。他人に対し、ウェルカムの気持ちを持つこと。
何でかというと、もしかしたら宗教が関係しているのではないかと考えている。
文化の前提にキリスト教があるから、自分を省みる習慣があるのではないかと思う。
日本は無宗教だ。だから、自分を見る習慣ができていない。
日記をつける人なら話は別だが、あまり多くはない。
最近スピリチュアルが流行しているが、日本人にとってはいい傾向ではないかと思う。
宗教がない日本にとっては、自分を顧みるきっかけとなるスピリチュアルがあったほうが、疲弊しきった日本人の精神にとって救いとなるだろうから。
そういったことで、今の日本人は、自己コントロール力に乏しく、状況に良くも悪くも振り回される。良い意味では、環境に適応しやすいとも言える。
欧米人と比べて、自分がないんだ。
自我としての自分ではない。この生命の中心点を自覚しているか否か、ということを言っている。
動揺しない安定した心を持つ方法とは
さあ、現実が辛い状況に思えるのなら、一刻も早く瞑想をし、自分自身を見つめよう。
別に瞑想でなくてもいい。いつだってできるやり方がある。
この、実在に目を向ける。
とりあえず、感情は横においておく。
現実に体当りし続けてたら、誰だって心が持たないよ。
この体の中心地から、距離感を持ちながら事に当たれば少しはマシになる。
そういった習慣を付けることが、メンタルヘルスにとっては、どうやら必要なことらしい。
こういうことは、親も誰からも教えてもらえない。
そして精神的に弱いというレッテルを貼られてしまう。
精神が弱い強いの問題ではないんだ。
技術的な問題でしかないので、技術は流布されるべきだし、誰でもそのスキルを磨く自由があるんだ。
さあ、あなたも精神的な緩衝地帯を確保し、動揺しない心を持てるようにしよう。
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