宣教師に幸せの極意を尋ねた
あれは4年半前のことだった。
私はイスラエルへ旅行をし、そこで出会ったフィンランド人の宣教師に対して問うた。
「私はイエス・キリストが実在したことも信じてます。また、聖書に書かれていることも真実だと思っています。でも、幸せではないんです。私に足りないのは一体何なんですか?」
フィンランド人宣教師(おそらく80歳くらいだろう)は答えた。
「あなたに足りないのは。。。。感謝です。」
感謝。。。。
宣教師は、私の質問が的を射ていたと思ったからか、興奮気味に私を抱きしめ「わが息子よ。イエス・キリストに、どんなことでもいいから、祈りを捧げてみなさい」と言った。
今思い返すと、映画のいち場面のような出来事だった。
ありがとうという感謝こそが幸せを引き寄せる効果のある法則
その宣教師の言ったことは、今ならわかる。
決して、知識が人を幸せにするのではない。
積極的な祈り、神への感謝という行為によってのみ、救われるのだ。
求められているのはありがとうというアクションだ。
感謝という行為こそ、幸せを引き寄せる効果のある法則なのだ。
感謝をするということは、真剣であらねばならない。片手間でできることではない。
神経を集中させ、リラックスしなければならない。
人は、悟りを知りたがる。
知りたくて渇望している。
真理とは何か。悟りとは何か。
しかし知ることだけでは、幸福を産まない。
この世は夢の様なものだったという気楽さは生むかもしれないが。
ただただ、祈る。感謝をする。
自ら感謝の波動を作り出す。自らが発信者となるのだ。
素直な人間のほうが、遠回りせずに幸せになれるのだ。
あらゆる聖典に書かれている「神に感謝せよ」という教えに従わないで、頭でわかろうとするのが多くの人間だ。
しかし、導かれる者は結局導かれるのだ。
行為は知識に勝る。
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