子供の時、考えるのが非常に苦手だった
私は子供の頃、考えるということをあまりしてこなかったんだと思う。
勉強の成績は悪くはなかったんだ。
学校の勉強は、与えられた範囲を覚えたり理解したりすればいいだけだから。
多分、大学受験までの勉強は、深く考えなくても対応できるんだと思う。
大学で学ぶ、専門知識になってきた時に死んだ。
そんなわけで学歴社会の肩書は手に入れられたのだけれども、考えるということに関しては本当に苦手で苦痛を感じていた。
いざ何かを考えようとして頭を使おうとすると、頭らへんに嫌〜な感覚が発生し、
「うわっ。ムリ」
という感じで、とてもじゃないけど続けられなかった。
だから、ボーっとしている静かな子供だった。
そして無口だった。
しゃべるということも、頭を使う作業なわけで、子供の頃は言葉も上手く出てこなかったと思う。
思考は、言葉を利用して行われるので、考えていることを言葉に変換することが苦手というか、できなかった。
何か問いかけられても、すぐ返事ができず、ただ黙っているような子供だった。
高校の時、英語は得意だったんだけど、たった一つ、苦手な範囲があった。
英作文だ。
日本語を英語に直す。
英単語の暗記、文法の暗記なら得意だったんだけど、文章の変換となると、非常に頭を使う作業となり、これまた拒否反応が出てしまった。
なんでこうなってしまったのかはよくわからない。
小さい時から頭を使って考えて来なかったからかもしれない。
頭を使えないと、表面的で単純な反応しかできず、周囲から馬鹿だと思われる。
話をしていても面白くない。
行動力がないから行動範囲も狭いので、精神的に成長もしてこない。
ということで、社会生活的には暗い時代を過ごしていたと思う。
休日の過ごし方がわからなくて絶望
社会人一年目の時、変わるきっかけとなった出来事が起きた。
激務の日々を乗り越え、やっと休日を迎えた。
やっと休みだ。ホッとする。
だけど、何をしたら良いのかがわからなかった。
横浜に出て一人暮らしの1DK。
これからみなとみらいに行けば良いのか。それとも横浜駅に行くのか。
行って何をするのか。何を食べたら良いのか。
それともまず洗濯をすべきなのか。
それらをどんな順番でやっていったらいいのか。
教科書のような正解なんて、誰も教えてくれない。
自分が決めないといけないのだけど、自分の心を覗いても、深淵な空洞が広がっているだけで何も見えなかった。
学生の時は良かった。ただ、与えられたことを頑張ってるだけで次に進めたから。
しかしもう社会人だ。
働いて、休んで、働いて、休んで。
今後はずっと、その繰り返しなんだ。
これ以上先には、何も用意されていない。
またこれからも、この空虚な休日が繰り返し繰り返しやってくる。
大学まで卒業した自分が、休みの日に何をしたら良いのかすら全くわからかないという事実に直面し、心の底から絶望した。
自分は人間として欠陥があるんじゃないかとも思ったし、本当に悪夢だったよ。
そこから、自分の様々なあがきが始まった。
親が子供に問いかけて、考えさせよう
人として生まれたのなら、こんな苦労はする必要はない。
できるだけ小さい時から、自分の頭で考える訓練を持ったほうが絶対に良い。
私の両親は、私の教育に関しては本当に無関心だった。
塾に入れるとかも良いけれどもも、もっと普段の生活の中で、頭を使わせるように仕向けたほうが良い。
「君はどう思うんだ?」
という質問が良いと思う。
そういえば私の親は、私の気持ちに関心を持って聞いてくれたことはなかったな。
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