「私達は愛でできている」の意味がわからなかった
よくスピリチュアル系の本で「私達は愛でできている」と言われる。
今までこの意味だけはずっとわからなかった。
愛と光でできているとも言われたりもする。
愛でできていると言われても、自分に愛情が満ちているとは思えなかった。
逆に、いつも愛で飢えていて、他から愛情を受け取りたいと思っている方だったから。
しかし最近、本当の自分とは自我のことではないと明確に理解できるようになってからは、人間は愛でできているということについても理解できるようになってきたので、それを説明したいと思う。
本当の自分は、愛を無限に与えることができる存在
本当の自分は、自我ではない。
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そして、自我は幼い子どものような存在で、極度の寂しがり屋で、常に愛情を求めている。
愛情を欲しがり、愛が失われそうになると猛烈に反発する。
本当の自分は、そんな風に自我が騒ぐのをただ見つめて、影響を受けないでいることができる。
さらに本当の自分は、愛情を欲しがっている自我に対して、愛情をかけてあげることができる。
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ということはだ。
本当の自分は、自我に対して愛情を無限に与え続けることができるということになってくる。
私達は愛でできていた
それは実際にそうなのだ。
いくら愛情を注いだとしても、終わりなんて来やしない。
自分には、尽きることのない愛情があるってことなんだ。
だから、人間の存在は愛そのものであると言われても、そうなのかもしれないと思えるようになった。
だから、愛情はケチる必要なんてどこにもない。
減るものではないから、与える機会があったら与えてあげればいいんだ。
自我の心の動きを、自分だと勘違いしないように。
本当の自分とは、主体的な意思の部分なのだから。
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