愛を知らないと、自分を愛する方法がわからない
自分を愛する方法がわからない。
もっと言うと、愛って何?よくわからない。
そんな風に、最近までずっと感じていた。
愛って、とても頻繁に使われる言葉だけど、非常に曖昧な言葉ではないだろうか。
おそらくだけど、愛をわかっている人も世の中にはいる。
それは、適切に親から愛情を受けて育ってきた人々だ。
そういう人は、愛を知っているので、他人に愛を与えることもできる。
私は、親から愛を受け取ってきたという感覚がない。
もしくは、愛を与えてくれてたけど、私が望んでいた形ではないので気付いていないだけなのかもしれないが。
愛とは、例えるならば、燕が自分が食べるよりも優先して、子どもたちに餌を与え続ける姿のようなものなんだろう。
愛とはなにか、と問われた時、それ自体を定義づけるのは難しい。
外堀を埋めるように、無償であり、無限であり、無条件であり・・・・というような説明になってしまう。
愛情不足の人間は不足マインドになってしまう
それで、愛を知らない私のような人間は、心が愛情で満たされていないので、心が空っぽであり、それを埋めようとして不足マインドが基本姿勢となってしまう。
承認欲求が強く、他人からすごいと思われたいと願う。
そのために、注目を集めることをやってみたり、地位や名声にこだわったりもする。
また、恋愛によって愛を内側に満たしたいと願う。
それで恋人にがっついて愛情を求めてしまう。
また不足マインドが独り立ちして、物欲や金銭欲へと化けてしまう。
不足感を物や金で満たしたいと思ってしまうのだ。
愛で満たされていない人間は、このように捻じ曲がった生き方を歩んでしまう。
不足マインドから生まれる行動からは、決して良い結果は導かれない。
欲しても、与えれらないのだ。
自己顕示欲を見せつけられると人々は逆に引いてしまうし、愛情を示すよう即されても恋人は重たいと感じて引いてしまうし、集めたガラクタやお金は決して乾いた心を潤してはくれないのだから。
具体的な自分を愛する方法
では、どうすればいいのかというと、自分を自分で愛することが必要になってくる。
でも、不足マインドを抱える人は、元々愛を知らないんだから、自分をどう愛すればいいかわからない。
なのでどうすればいいかを説明する。
自分の胸のあたりを基本意識するようにする。
驚いたり、嫌な気持ちが湧いてくる時に、不快感が生じる部分だ。
みぞおちのちょっと上だと思う。
そこが面倒を見なきゃいけない脆いマインドだとして、そこに向けて愛情をかけてあげる。
びっくりした時や傷ついた時などは、すかさずこう心の中で話しかける。
「大丈夫だよ。愛しているよ。」
手を胸に当ててあげるとなお良い。
そうすると、胸にもやっとした温かみを感じるはずだ。
その感覚を覚えておいて、今度は時間がある時に胸にその温かみを感じるようにして過ごす。
自分に愛を補充してあげているようなイメージだ。
愛とは、実際に時間をかけて誰かを慈しむことなんだと思う。
だから、自分を愛するにあたっては、実際に愛する時間をとる必要がある。
愛で満たされていなければ、自分で愛を満たしてあげる必要がある。
愛で満たされて心が満タンになれば、不足マインドが解消されて、あなたが本当に欲しいものが手に入るようになってくるだろう。
コメント