このブログは、意識化し辛いんだけれども私達に多大な影響を与えている物事について取り上げて、それをうまく利用できるようにして、より良く生きていこうというテーマがある。
この人生は、どう生きるのも自由だし、自分の才能を活かしきって世間のために自分を使い尽くすのも、自分が楽するためだけに自分の能力を温存しながら余力を残して死んでいくのも、どちらも構わないことになっている。
しかし生きる喜びというものは、最終的には自己表現に集約されると思っている。
つまり自分の創造性をもとに、何かアクションを起こす結果によって出てくる反応こそ、自分に自信と喜びを与えてくれるのだと考えている。
生きなければいけない運命にあるならば、この人生を暇つぶしとして浪費するよりも、どうせなら喜びを感じていたいではないか。
前置きはこれくらいにしておいて、今回は負の感情の取り扱い方について、新しい捉え方を発見したのでシェアしたいと思う。
めんどくさい感情がやってきた時
あなたが何か宿題をしなきゃいけない、溜まってた衣類を洗濯しなければならない、などと思い出した時に、胸がズーンと重くなる感覚があると思う。
”面倒くさいなぁ”
あなたはそう思って、すごい嫌な気分になるのだけれども、タスクに手を付けようとはしない。
むしろ殆どの場合、非常に安易な逃避行動を取ろうとする。
つまりあなたがYouTubeを見ていたのなら、そのまま見続けるという行動を取る。
そう、やらなきゃいけないことを思い出し、嫌な気持ちになったら、原因となっているタスクを片付けようとするのではなく、嫌な気持ち自体から逃げるのである。
これは怠け心のように思うのだけれど、実際に渦中にいる時は、なかなか自分の意志の力で抜け出すのは難しいことは、多くの人が実感しているのではないか。
うつ病の方は、家事や掃除ができなくなったり、外出するのも億劫に感じたりすることがあるそうだ。
主に中脳が関与している報酬系の働きが悪くなると、なんかしらの行為によって得られる成果を、やる前から想像することができなくなるのだ。
行為に関するモチベーションを感じにくくなるために、行動に移せなくなる。
これはうつ病の人でなくても、いくらかの程度では皆葛藤を持っているのではなかろうか。
めんどくさいを直すために
そこで、私が新しく考えた方法なのだけれども、感情をいちいち解釈しないということが大事だいうことだ。
例えば、「排水口が詰まっている。掃除しなければまた水浸しになるぞ」とふと思い出したとする。
その瞬間、胸がズーンと重くなる。
ここで、私達は無意識のうちに、やってきた感情を頭で理解する作業をしてしまう。
”面倒くさい”
心で思うだけでなく、口に出してしまう場合も多い。
これをやってしまうから、感情の影響をもろに受けて、エネルギーが減少し、行動ができなくなってしまうのだ。
私達は脳の反応として、あらゆる現象を理解しようとする癖が身についてしまっている。
基本的には必要なことだと思うけど、理解することで不利益があるのなら、その部分についてはやめたほうが良い。
不快な感情が襲ってきた時、これはどういった感情であるかを解釈するのをやめてみるのだ。
感情に良いも悪いもない
実際に試してみてほしい。
そうすると、襲ってくる感情は、良いも悪いもないのだと、気付くことができる。
悪い感情だとするのは、私達の脳がそう解釈したからにすぎない。
解釈前の感情は、ただの感情エネルギーであり、”何らかのもの”とでも言うべき物事である。
解釈さえしなければ、私達は感情に操られることはない。
エネルギーは襲ってきても、解釈しないままでいると、やがて消えていくからだ。
解釈をし、形を与えるから、いつまでも残るのだ。
解釈とは”言語化”とも言い換えることができる。
言語化するから、形となって私達に影響力を及ぼし始める。
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