頑張れないのは自分ひとりのために生きているから
人生に特別な意味を感じられず、やりたいこともなく、どう生きていいかわからない人というのが、若い世代を中心に多く生み出されているのが近年のことと思う。
「やりたいことをみつけましょう」と言われるものの、様々なことをやってみたが結局ハマるものはない。
今やっている仕事も、好きでやっているわけではなく、給料のために働いているだけ、という状態だ。
このような状態だと、なかなか何かに対して頑張ってみようという気は起こらないのではないか。
その結果、その人の人生の充実も得られずに、ただ日々を過ごしていくことになってしまう。
私自身が何よりそんな一人なのだけれども、人間とは所詮自分のためだけには頑張りきれないものなのではなかろうかと思ってしまう。
自分一人なら甘えてしまうが他人のためなら頑張れる
まず自分の場合だけれども、朝起きるのが辛い。
なかなか布団から出られず、目覚まし時計を先に先にセットし直し、ギリギリまで寝ているというのが日常だ。
これは一人で生活しているからそうなってしまうのであって、もし家庭があれば、そこに生活というものが生まれ、朝決まった時間に起きずにはいられなくなる。
それはすなわち、家族のために決まった時間に起きるということにもなってくる。
そして、今は部屋は散らかっている。
自分一人で生活しているから、別に散らかっていても構わない、ということになってしまうのだ。
しかしもし家族と一緒に住んでいれば、散らかったままにしておくことはできなくなる。
嫁や子供のために、少しは片付けようという気にもなってくる。
だいたい、このように人生で頑張りきれないと言っているような人間は、私のようにいい年にもなって家庭を持たず、孤独を愛し、自分の幸せを追求しているような人間が多いのではないか。
自分だけの幸せを追求しても、なかなか生きがいのある毎日になっていないのはひどい逆説だと思う。
正月に両親に会ったが、そこでも人間は他人に対してなら頑張ることができる、という原則を目にした。
私は両親のことが苦手で、なるべく距離を置きたいと思っているのだけれど、両親は何かと私に口出ししようとしてくる。
起業しようと考えているのだけれども、その資金を貸してやると言ってうるさい。
利子はいらないと言っているのだけれど、私はそれは高くつくと考えていて、お金は全く無関係なところから利子を払って借りるのがいいと考えている。
無利子より高い利子はないはずだ。
金を払ったことで、ビジネスに口出しされるほど厄介なことはないので、譲歩案として、いずれ結婚した暁には、結婚式代を出してくれと言った。
そしたら両親はウンウンと納得した様子だった。
とにかく、両親も還暦を過ぎた年齢で、日々を淡々と過ごしていて特別変わったこともないはずだ。
そんな中で、息子が何かしようとしていると知ると、何か力になりたいという気になり、俄然エネルギーが湧いてきてしまうのだ。
私にとっては全くおせっかいな話なのだけれども。
自分の目標や夢に他人を加えよう
このように、人間は自分ひとりではコンフォートゾーンを超えてまで頑張ろうとはなかなか思えないもので、他人のためなら頑張れるようにできている。
頑張って何かをやることで生きがいにつながるのなら、自分の夢ややりたいことに、他人のためになるような目標設定を加えてみたら良いかもしれない。
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