きっと理解し合えているという希望
自分のことをわかってくれる真の理解者は、この世にいるのだろうか?
いるという人もいるし、いないという人もいるだろう。
いる人は幸せことでなにより。
私は、いないと思っている。
人間社会で生活していて、わかってくれた、と思う瞬間は確かにある。
あるが、それってどこまでも確信がない。
信頼関係の域を超えないのだ。
ホントのことを言えば、他人は誰も分かり合えないものだと思う。
きっと自分のことをわかってくれてるだろう、と信頼するくらいしかできない。
そんな相手でも、本当に自分のことを100%正確に理解しているかはわからないのだ。
私は、ここに書いていることは、とても親しい人間とは言えども話すことは出来ない。
たぶん、いや間違いなくわかってもらえないからだ。
子供は運命に対しなすすべもない
幼いときから、自分が思うこと、考えたことはどうも世の中から外れているようだった。
自分が発する言葉は、全て受け入れられることはなく、でも自分の中から生まれてくる思考というものがあるから、そのギャップを埋め合わせるように、一つの考え方に落ち着いていった。
「自分の考える事は全て間違っているのだ」と。
そうすれば、親や学校の友だちとの整合性が付くから。
自己否定は、自信のなさを生むから、生きていくのが大変だったよ。
子供というのは、神が用意した運命に翻弄される他はない。
大人になり、自分で考えられるようになって、色んな場所や情報にアクセスする力もついて、10年間は自分を取り戻す作業に費やしていたと思う。
この自分自身という魂は、この人間に宿っていて、なんとかこの人間の人生をいい方向へと向かわせなければいけない責任がある。
この人間の素材を、最も活かすように、最も輝くように持っていかなければいけない。
そう思っている。
欲しがる前に、全てをわかってくれている真の理解者に気付くこと
人生、生きていると辛いことや苦しいこと、虚しくなることばかりだ。
そんな自分の気持ちを、本当の意味でわかってくれる人間は、この世にはいないと気づいた者は、真っ暗な孤独を感じるに違いない。
すがるものがないこの世界にひとりぼっち。
救いの無さに絶望するかもしれない。
その段階でやっと、神が全てをわかっているということを知る。
神こそが私の悩みを全部見ていてくれているという確信があれば、救われるんだ。
運命による苦しみを与えていたのは神自身であり、気付けよ、と神としてのメッセージとして、様々な事象を与え続けていたのだ。
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