人間の価値は表面的なことでは決まらない

人間の価値 幻想

人間の価値は、私達が考えているようなことでは決まらない

この世の中に生きていて、身の回りの人間を、自分の中で日常的に評価付けしていると思う。

あいつは気に食わない。

あいつは最悪だ。

などといってね。

性格が合う合わないとか、趣味が合う合わないとか、色々あるけど、相手が実害を及ぼしてくる人物の場合もある。

例えそんな場合であっても、人間の価値は表面的な事実では決まりはしないのだ。

常識的と言われる考え方からすれば、善人悪人どちらも存在するのが当然であって、その評価がすべてのような気がする。

しかし、深い部分では違うのだ。

人間の価値は、そういった人間の中だけでの価値判断で決まるものではない。

このことを腑に落とすためには、まず”自分”とは何かということについて、正しい理解が必要になる。

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行為者は脳が作り出した幻想に過ぎない

私達が大事にしている”自分”というものは、単なる幻想に過ぎない。

脳が作り出した幻想だ。

左脳の役割は、ある出来事に対して、それが起こった理由というものを作り出すのを四六時中やっている。

そうやって頭で理解しようとする。

元々、わからないことを理解したいという欲求が埋め込まれており、左脳はその欲求を満たそうとする。

”自分”という概念も、理由のでっちあげに過ぎない。

例えば、私達が猫を見てかわいいなと感じる時、そこに意思があるように考えていると思う。

猫が人間と同じように意思を持って、様々な可愛げな行動を取っているのだと。

しかし事実は違う。

ただ、そこに行為が起こっているだけだ。

行為者はいない。

そのように、自分自身のことも、”自分”という行為者がいて、自由意志を持って考えたり行動を決めているのだと、頭で理解しているということになる。

しかし、そんな”自分”などといった行為者は、人間の脳内で作られた概念に過ぎなく、事実はそこにただ考えが起こり、行為が起こっているだけなのだ。

自分もいないし、他人もいない。

私達は皆、TVドラマの俳優さんのようなものなんだ。

TVドラマの中で悪役をやっていたからって、実際にその俳優さんがその役通りに性格が悪いわけではない。

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個々の人間の価値は、演じてる役柄では計れない

私達も同じだ。

各人間が、人生においてそれぞれの役を演じている。

ほとんどの人は、受け持っている役こそが、自分自身だと信じ切っている。

TVドラマでそんな風に演じている人がいたら笑われてしまうだろうが、私達は実際そんなものなんだ。

私達は役者なのだから、台本通りに演じるしかない。

そこに自由意志は持ち込めないのだ。

しかし人間の価値が、たまたまドラマで演じている役で決まってしまうのなら、そんなの不当だと訴えたくなるだろう。

どんな人間であっても、どんな極悪人であっても、絶対に許せない人間であっても、人間としての価値はそこでは計れない。

そもそも、そのように他人を判断しようとする”自分”がいないのだから。

「あいつだけは許せない」というような考えが自ずと現れてくるだけで、主体はそこにいない。

何かが起こるには主体が必要であると判断する左脳が作り出した幻想に過ぎない。

人間の価値は、ただただ、生きているだけで素晴らしいんだとしか言いようがない。

それ以外のあらゆる価値基準は、人間の脳が作り出した虚構であるから、とても揺らぎやすいし、決して真実なわけでもない。

この世界の有様は、尽きることなく生み出され、変化し続けるものである。

なぜ現れてくるのか、何を目的としているのか、と考えたくなるのは人間の脳の機能であって、理由や目的など何もないのが真実だ。

私達は、その全体が生み出す表現の一部であり、やはりそこに目的など無い。

ただ、生まれてきて、なんともなしに生活を続ける。

様々な思いを馳せながら。

ただ、それだけで芸術であり、完全なる作品なんだ。

人間の価値とはこのようなものとなる。

決して人間の脳内の価値基準や個人的趣味で決まるものではない。

演劇は面白いものである。

しかし、ハマり過ぎは良くない。

あまりにも熱中して、役に入り込みすぎないように。

それこそが、苦悩が生み出される仕組みなのだから。

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