人生はいつからでもやり直すことができるという原則
凶悪犯罪に巻き込まれた人にとって、その後の人生は終わったのも同然のようにしか感じられないのだと思う。
しかし、宗教、特にキリスト教は、どんな苦悩を背負っている人でも、また、過去にどんな罪を負った人間でも、救いの道を示しているように思う。
その日、その瞬間から、人間はいつでもやり直せるのだと。
それが原則として認められているからこそ、少年犯罪はその犯罪者の更生を前提として考えられているのだと思う。
しかし、原則があるからといって、こちらからわざわざ差し出す必要まであるかはわからない。
人生はいつからでもやり直せるが、それは本人がやり直す決意をした場合に限るからだ。
そうでないならば、少年法で守っても、結局は本人の学びの機会を阻害するものでしかない。
記憶喪失の思考実験
実際に今現在、苦悩の渦中にいる人にとっては、今この瞬間から変わることができると言われても、全く信じられないだろう。
そこで、こんな思考実験をしてみて欲しい。
あなたは会社で辛い思いをしている。
いじめや嫌がらせはエスカレートしていく一方で、毎日が苦痛でしかない。
今日もやっと仕事が終わった。
極度の緊張下に置かれていたため、仕事後でも頭がまだ朦朧としている。
注意力が散漫になっていたところに、道を歩いていたあなたに向かって車が突っ込んできた。
あなたは頭を強く打ち、病院へ運ばれた。
目覚めたあなたは、なぜ自分が病院で寝ているのかわからない。
車に轢かれたことも、自分が普段何をして働いているかもわからないのだ。
あなたは記憶喪失になってしまったのだけれど、働いていた時に感じていた苦痛までも完全に消え去った状態だ。
そう、もし、この瞬間に記憶をなくしてしまったならば、すぐさま新しく生きられるのだ。
ベルセルクという漫画がある。
キャスカという女戦士は、グロテスクな魑魅魍魎どもに囲まれ、仲間は全員残虐に殺され、絶望しかない状況に追い込まれて、記憶を失った。
記憶喪失というのは、精神を守るための脳の仕業という部分もあるんだろう。
苦悩とは記憶とともに脳内で生み出されるもの
ともかく、苦悩というのは、あなたの記憶から生み出されるものだということだ。
つまり、今実際に起きていることではない。
あなたは過去の記憶を繰り返し疑似体験することで、自ら恐怖を大きくしたり、悩みを深くしたりして生きているのだ。
起きてしまったことは変えられないが、あなたの脳内での出来事は、あなたに責任がある。
あなたに必要なことは一つ。
新しく生きるという決意である。
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