友達がいないことは悲観すべきことなのか?
私は友達が少ない。
私は今の住所に5年間住み続けている。
なのに、その間にできた友人と呼べる存在は、一人挙げられるかどうかなのだ。
これって不思議な事じゃないか?
大人になってから友人を新しく作るというのはなかなか難しいことなのかもしれないが。
私自身、昔こそ会話ベタで、緊張しいだったが、今の自分は客観的に見て普通の会話力を持ち、誰かと一定時間楽しく会話を進めることはできる。
その地域に馴染むために、地域の趣味のコミュニティにも一つ属しているし、私の職業の職能団体の活動にも顔を出している。
人並みに、いや、おそらく普通以上に社会参加はしていると思われる。
私はバーで一人で飲んでいて、マスターにその疑問を思わずぶちまけてみた。
「もう5年もこの街に住んでいるのに、友達がいないっておかしくない?」
そしたら、カウンターの隣に座っていたオヤジが
「お前、その年令でその発言はやばいよ?」
と言いやがった。
私は子供の時から友達が少なかった。
友達作りが苦手なことは確かである。
マスターに愚痴を言った時は、寂しさの現れだったが、だからと言って決して悲観してはいけない。
昨日のブログで述べたように、起こる感情を正直にそのまま受け取ることはないのだ。
プラスのエネルギーとして上手に転換してやればいい。

友達が少ないからって、世の中でうまくいかないとは言えない
友達がいないからといって、世の中的にうまくいかないと決まっているわけでもない。
友達がいないと公言している有名人はいる。
ウェンツ瑛士はテレビ番組でそう言っていた。
また、林修もそうらしい。
私自身、林修が言っていたことがとても救いになった。
友達なんて、たまたま同じ地域に住んでいた、クラスで一緒になった、学校が一緒だった、という偶然の産物であるし、友達との会話なんて昔話の繰り返しで、生産性が低いことが多いから、ことさらに大切にする必要がないと言う。
そして、林修自身、本がずっと友達だったと言う。
自分の経験できる範囲なんて本当に狭いもの。
過去の歴史上の人物が経験してきたこと、悩んできたこと、考えてきたことが本に書いてあり、本を友とすることで自分のできる経験以上に大きな成長につながる。
果たして友達と飲んだりして過ごす時間に、そのような大きな成長は望めるのだろうか?
そんなことを言っていたと思う。
友達が少ない人間にとって、とても勇気付けられる言葉ではないだろうか。
私自身も、とても勇気付けられた。
林修が言うように、本が友達でいいじゃないか
私自身、寂しさに流されて、わざわざつまらない飲み会に参加したりだとか、くだらない時間の使い方をするのはやめ、本を友として、本と親しんでいこうと決意した。
何十年も自分なりに努力しても友人に恵まれないというのは、求めるものをもう変えたほうがいいタイミングじゃないかと思う。
私は友達がたくさんできる運命でもなく、またそういう出会いのきっかけやスキルもないということだ。
しかし、友達が欲しい気持ちもある一方で、孤独も愛する自分もいるんだ。
だから、無意識的に友人を遠ざけていた可能性だってある。
本を友とすれば、自分の都合の良い時間だけ、読書をすることができ、マイペースを保ちつづけることができる。
友達がいないからといって、ウェンツ瑛士や林修に魅力がないとは言えないだろう。
話を聞いていてとても楽しいじゃないか。
友達の有無がその人の価値を決めるものではないと思う。
本が友達で、いいじゃないか。
コメント
こんにちは、初めてブログ拝見しました。友達について私も同じように思う事が有りました。
必要なかな?1人の方が楽だな。
けど、気の合う友人欲しい。
本はためになるし,楽しいけど。
発信しないと会話力が下手になりそうです。
Twitterもフォローして、ブログも見てみてす、いろんな記事読みやすくて共感持てました。
いつか会ってみたいです。