エゴの正体について。エゴはあなたがどうなっても知ったこっちゃない。

目覚め

自己観察を続けていると、エゴの性質に徐々に気付けるようになってきます。

エゴとは、テレビのバラエティ番組のようなものです。
見ている間は感情を刺激されて退屈しません。
何らかの身体的刺激を伴っていたり、はたまた独り言の形式であったりもします。
見ていたテレビを消されると、何とも退屈な気分になり、居ても立っても居られなくなり、またテレビを付けてしまいます。
エゴに対しても同じように、私たちはこちらから望んでエゴに取り込まれていくようなところがあります。
私たちは、成長する過程において、何の疑問も持たずに、湧き上がるエゴを自分そのものだと受け入れていきます。

では、エゴの正体とはどのようなものなのでしょうか?
自己観察しているとわかるのですが、エゴとは”私”にとっての不足感を刺激するものであることが多いです。
そして、そのエゴの発露は、脈絡なく起こっていることにも気づくことができるでしょう。
エゴとは自分が起こそうと思って起きるものではなく、気付いたら湧き上がってくるものですが、なぜ今そのことを思いついたのかについて、特別な理由はないのです。
では、普段私たちがなぜエゴが持ってくる見解がとても重要なものに思えるのか。
それは、私たち自身が、エゴが初期段階で提示してきた見解に対して、真っ当な辻褄合わせを付け加えて解釈してしまうからです。
例えば、エゴの反応として、ぎゅーっとみぞおちが締め付けられる反応が現れたとします。
これは私自身がよく感じているエゴの反応なんですが。
そこで自分が、それは今月の支払いに対して心配なんだなと、こちらからわざわざ解釈してあげてしまうわけです。
よく自己観察していれば、みぞおちが締め付けられる反応は、別に理由があって起こっているわけではないことに気づきます。
赤ちゃんが泣くのとそう変わりない反応な訳です。
独り言によるエゴの反応も同じです。
過去の自分の失敗を責める独り言が起こったとして、一体なぜ、今のこのタイミングでそのことを蒸し返されなければならないんでしょうか?
よく観察していれば、そこに合理的な理由がないことに気づけます。

最近はAIが発達してきましたが、まるで質問に答えるAIのようだなと思うわけです。
こちらの質問に対してAIが返す回答は、非常に素晴らしい時もあれば、なんかちょっと違うなと思う時もあります。
エゴは脳の機能の一部であるのだから、AI的な性質を持っていてもおかしくはないでしょう。
非常に良くできたロボットに対して、我々がそこに人間的な意志を感じるような感覚と言った方が近いでしょうか。
ロボットは無数のパターンの中から反応しているだけなのですが、そこに我々人間が、人間的な意志があるものだという風に補足をして認識してしまうのです。

エゴが起こす反応は、単なるリアクションに近く、何もない時は脈絡のない反応を示します。
そこに我々は、人間的な表現の豊かさを補足し、自分の反応として捉えてしまうのです。

ではエゴは何のために存在しているのでしょうか?
これについては良くわかりません。
108氏の言うように脳のバグという説が一番近いような気がします。
エゴは、人間の体の中で、ウイルス的な存在に近いです。
ウイルスは、自分自身が勢力を増すことができれば、宿主の体がどうなったって構いません。
エゴもまた、人間の意識の中で力を持ち続けることができればそれで良く、宿主の人生がエゴに従ったことによって不幸になろうが知ったこっちゃないのです。
おそらく進化によって脳が発達した結果、エゴというAI的な存在が生まれ、それ自体が一つの生物のように振る舞うようになったと思われます。

エゴは、エゴ自身が権力を保持し続けることが目的であり、宿主のためになんてこれっぽっちも思ってないのです。
エゴは、猫じゃらしで猫をおちょくるように、ほれ、ほれ、とこちらが反応してくるように仕向けてきます。
そして我々が思わず猫じゃらしに飛びついてしまったのを見てほくそ笑んでるのです。
そんなもののために我々は今まで人生を使われてきたのです。
私たちが意味ある活動だと思っていた、エゴが仕向けてきた方向性で、幸せになれた人はいるでしょうか?
結局頑張ってきたけど何も得らず、徒労感だけが残ったという結果ではないでしょうか。
エゴは、相談者を洗脳して操る占い師のようなものです。
味方のようなふりをして、外に敵を作ったり、不満を募らせたりして、相談者への支配力だけを維持し続けます。
パラサイトという言い方もできますね。

エゴの正体について理解できたのなら、もはやエゴにこれ以上従うことなどできなくなります。
妄想であったり心が動くような独り言であったりと言ったわかりやすい反応はエゴです。
思考は真実ではないのです。
エゴの反応は避けられませんが、気付いた時点で意識のイニシアチブを取り戻しましょう。
「これはエゴの見解だ」
と、一歩距離を置きましょう。
その上でその見解を採用するかしないかはあなたの自由です。
エゴ=自分の意思となると、勝手に湧き出た思考を採用する自動反応の中で生きることになり、幸福からは遠ざかってしまうでしょう。
しかもエゴはあなたのために真剣に考えて見解を出しているわけではないのに。
自分にとって大事な見解に思えるのは、あなたがそこに根拠を加えたりしているからです。
まさに悪魔の囁きなわけです。
私は「AI”エゴさん”の見解だ」と言っています。
AIと言うことで、その見解の脈絡のなさを思い出すことができますし、さん付けすることで他人行儀になり、より自分とは別の存在だと認識することが容易になるからです。
エゴとの自己同一化から離れることは、身体的な技術になりますので、慣れないうちは瞑想や自己観察をして訓練していきましょう。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
目覚め
もし記事を気に入っていただけたらシェアをお願いします
アルジュナのフォローをお願いします
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました