スピリチュアルな人は、過去の辛い経験から学びを深めてきた

スピリチュアルな人 目覚め

あなたはスピリチュアルな人に憧れるだろうか?

スピリチュアルな人は、なぜスピリチュアルな考え方に至ることが出来たのだろうか?

言ってしまえば、それって一般的に表立って話されていることではないから、自然に暮らしててスピリチュアルな考え方が身につくということはない。

ではどうしてかというと、スピリチュアルな人は、過去に起こった辛い経験から学びを深めてきたからだ。

スピリチュアルな人は、多くが辛い経験を経ているということいなる。

今回は、その理由について説明する。

スピリチュアルな人は、辛い経験によって信念体系を打ち破っている

なぜ、辛い経験を経ないとスピリチュアルな考えに目覚めないかというと、社会全体にはびこる強固な信念体系を打ち破らないと、スピリチュアルな考えに至ることが出来ないからだ。

人は生まれてきた暁には万人が信念体系をマインドの中に構築する。

その仕組みや過程については、ドン・ミゲル・ルイスの5つの約束という本にわかりやすく書いてある。

五つの約束―自己修養のための実用ガイド
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人間は物心ついてから、一つずつシンボルを受け入れていく。

この世の中の物や概念を表すシンボルとともに、私達の飼いならしのために様々なルールを教えられ、自分自身のマインドの中に受け入れていくのだが、それはあくまでも仮の記号であったりルールでしかないにもかかわらず、それらこそ真実であると勘違いしていってしまう。

そして気づけば、私達はマインドの中に強固な信念体系を作り上げ、もはや直接的に実際の世界の有様を見ることはなく、マインドを通じてしか世の中を見通せなくなってしまう。

私達は、信念体系というレンズを通して見た世の中こそが真実であると信じ切って生き続ける。

そんなものは、マインドの中にしか存在しない、人間がそのように決めたに過ぎないものなのにね。

この時点では、人間は全くスピリチュアルな人なんかではない。

とてもとても常識的な人間である。

しかし、生きている中でとても受け入れられないような、辛い経験を味わう場面がある。

それが信念体系の中で答えを出せる範囲であれば良いのだけれど、あまりに程度が過ぎた不幸だと、信念体系ではカバーできない場合がある。

なぜ自分だけこんな辛い目に合うのだろう。

不公平じゃないか。

それが自分に起こった理由って何?

こんな風に、ある日突然不幸な状況に落とされ、理不尽さのあまり打ちのめされることがある。

いくら考えても答えが出ない。

今まで信じてきた信念体系では解決できない出来事が自分に降り掛かってきてしまった。

信念体系とは、あくまでもシンボルでありルールでしかないので、この世の中の全てをカバーしているわけではない。

そのために、信念体系では説明できないことも、自分の身に起こる可能性はあるのだ。

不幸が起こってしまった人は、信念体系以外の場所で答えを求め始める。

しかし信念体系の呪縛は大変強固なので、いつまでも信念体系に縛られ、あくまで信念体系の中で解決を図ろうとしてしまう人も多い。

そんな人は、決して消えることのない苦しみと格闘し続ける。

スピリチュアルとは、目に見えないものをどう取り扱うか、という科学なんだと思う。

常識的な信念体系とは、目に見えるものであったり、理屈で理解できることで成り立っている。

常識的な信念体系ではカバーできない事象にぶち当たった人は、スピリチュアルに答えを求めることになる。

人間の心は、答えが欲しいから。

答えを知って、救われたいから。

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不幸は目覚めのための愛のムチだ

スピリチュアルな人は、スピリチュアルな考え方を不幸な出来事という外圧によって、受け入れてきた人のことだ。

そのことを考えた時、私は思い出す言葉がある。

新約聖書の中の、ヘブル人への手紙第12章だ。

「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、
受け入れるすべての子に、
むちを加えられるからである。」
訓練と思って耐え忍びなさい。
神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

つまり不幸とは、ただ単に不幸なのではなくて、神の訓練でありムチだと言う。

不幸によって、私達は神様の存在に気付くことができる。

信念体系の中で安住している人間は、スピリチュアルな考え方に歩みを進めることはないし、神様の存在にも気づかない。

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スピリチュアルな人になれるかどうかは運命次第

人間がスピリチュアルな人になれるかどうかは、大きな不幸に出会えるかどうか、つまり神がムチを打ってくれるかどうかによると思う。

自分自身で嘘を見抜くことはできないのだからね。

不幸に出会えるかどうかは運命のようなものだ。

もし運命が、受け入れられないほどの苦しみを与えたとしたら、それはあなたが魂的に成長する機会を与えられたということなんだ。

新たな段階に歩みを進めるためには、それまでとは全く違った信念を受け入れる必要がある。

それこそが、スピリチュアルな考え方なんだ。

あなたに不幸が訪れたから、不幸な人生なのではなくて、あなたは魂的に一段階上に行くことを宿命付けられたのだと理解しよう。

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