自分以外の他人が存在するという証拠はどこにもない

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他人がいると信じる

他人はいるのかというそもそも論

自分以外の他者とは、本当に存在するのだろうか?

この問いに対して、常識的な考え方としては

「いるに決まってるだろう。疑問に持つまでもない」

ということになる。

しかし、よくよく考えてみると、他者がいる根拠というのは、どこまで探しても見つからないのだ。

自分以外の他者がいるかどうかという問の答えは、先程の常識的なセリフに実は集約されている。

「他人はいるに決まっている」

そう。

私達人間は、自分以外の他人がいると信じている。

そう、世界を捉えている。

なぜ他人は存在するという幻想を崩す必要があるか

では、なぜその幻想を打ち破らねばならないのか。

他人はいるという仮定を信じていれば、それでいいじゃないか。

なぜかというと、現実世界に対して生き辛さを感じている人間にとって、人間の思い込みを破壊することは、自分を救うことになるからだ。

自分以外の他者はいるに決まっているという思考パターンで生きていると、自分以外のところに価値があったり、権威があったりすると思い込んでしまう。

そして社会生活において何か問題が起こった時、必要以上に悩み苦しんでしまうことにもなる。

他者はいない。

それが納得できないならば、他者がいると証明することはできないと言い換えよう。

それは確かなことだ。

私は過去の彼女に対して、

「君は本当にいるかわからないでしょう」

と言ったことがある。

それに対して彼女の返答は

「私はいるよ」

だった。

そう他者に思えるものが答えようが、それでも本当に他者としての意識がそこに存在するかなんてわからない。

あなたがすべてを解釈しているだけ

この世界を、ゼロベースで、ありのままの形で、先入観なく観察するならば、そこにはただ見たままの姿の世界が広がるだけだということがわかる。

それ以外のものは、全て人間の思考の産物だ。

天上天下唯我独尊とは、この世界は私しかいないという概念を言ったものだと思う。

まあ、その”私”も思考の産物なのだけれども。

世界と一体となった”私”ならばあり得る。

言葉で説明すると、その言葉にイメージが引っ張られるので難しい。

しかし人間同士は言葉で説明をするしかない。

あの面倒くさい職場の同僚も、苦手な上司も、いるように見えて本当は存在しない。

だから、あまり神経質にならず、起こる結果を淡々と受け入れていけばいい。

あなたは、あなたの宇宙を生きているだけなのだから。

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