この平和な世の中では、実力が発揮されないまま
死の覚悟が本当に決まった時、真の力が発揮できるのではなかろうか。
問題は、その死の覚悟というのが、平和な生活の中ではできないということだ。
普通に暮らしてて、死の危険なんてどこにもない。
つまりは、殆どの人間は、内に可能性とパワーを秘めながらも、それを使うことなく、そのまま年老いて死んでいく。
人生に意味なんて無いから、それでもいいっちゃあいいんだけど。
生きがいを創造して、いかに自分を一角の人物へと導くか
でも、私はそういう人生にはしたくないという思いがある。
自分に与えられた可能性を、いかにして発揮するか。
それが神から自分という資源を与えられた責務のように感じている。
しかし、与えられた素材が、とことん扱いにくくて(笑)なかなか思うように活躍させることが出来ない。
これは自惚れというわけではない。
誰しもが、何かしらの可能性を持って生まれてきていると思う。
その、自分の強みを発見し、いかに世の中でそれを出していくか。
効果性を最大限に発揮させられるかが勝負だ。
私も中年に差し掛かり、焦りが出てきている。
「何者にもなれない自分にはたと気づき・・・」なんて巷ではよく言われているが、それでも良いじゃないかと思っている。
そう気付け無い人間がいかに多いことか。
気づけば何者にもなってない自分に焦りを感じ、そっから動き出せばいいじゃないか。
人生遅すぎるなんてないから。
特に今の時代はね。
自分を毎日発見し、人生の生きがいを創造しよう
自分が何を考えているのか。何を望んでいるのか。
それを毎日解き明かそう。
自分に向かい合って。
人間とは、一度だけそんなことやったって、自分を変えることなんて出来ない。
人間の脳は忘れっぽいから。
社会生活を送っているうちに、色々な問題に対処させられ、疲労させられ、自分の芯みたいなものが薄らいでしまうのだ。
世間に摩耗させられてはいけない。
家でじっくり自分と向き合って、本当の思い、願いを確認するんだ。
そして、自分の頭と心にしっかりと植え付けるんだ。
そうやって、また明日から外の世界へと出ていって戦おう。
自分を花咲かせるとは、社会においてしかない。
何でもない人間、取替が聞く人間ではつまらないではないか。
笑われたって良い。
不思議がられても良い。
自分というものを尖らせて、思いを世の中に対して表現していこう。
それが生きがいの創造をするってことだ。
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