自分らしさってなんだ?世間体など気にするな

自分らしさ 生き方

自分らしさってなんだ?

あなたは自分らしさを十二分にに表現できているだろうか?

もしかしたら、生きづらさを感じている人の中には、世の中の教義に合わせることが難しいと感じている場合もあるかもしれない。

世の中の教義、つまり世間体に合わせるべきだと、その人自身が信じ切ってしまっている場合、世の中の基準に合わせることができない自分を責めてしまっている場合もある。

自分らしさってなんだろう?

自分らしさとは、何か別の基準に自分を合わせていくことではないと思う。

しかし、この世に生まれて、物心ついてから受けていく洗脳によって、あなたは世の中の価値観にこそ価値があるんだと信じ切っているかもしれない。

そして、あなた自身がすでに持っている特徴に対してはあまり目をくれずに、自分自身で価値を与えていないのかもしれない。

生きる上で自分らしさを表現しなければ、生きる喜びなど感じられるはずもないではないか。

しかし、社会とは一定の枠内に収まる者を優遇しようとする。

そんなものは、本来の人間の多様性にはふさわしくないのだ。

社会の教義に無理に自分を合わせる必要なんて無い

恋愛や結婚という枠組みに縛られるな

主な世間の教義としては、適齢期になれば結婚をし、家庭を持つべし、というものがある。

人々は、特に日本では、この教義を完全に信奉し、それによって自分自身をも裁いている。

自分らしさってなんだ?

そこには自分の恋愛に対する志向など、何もない。

結婚し、子供を作るという一定の条件をクリアしない限り、そのようなレッテルで自他ともに見るようになっているのだ。

つまりはこういうことだ。

私が出会った女性の話をする。

ある女性は、男性のことを好きになれない。

どうも恋愛感情が欠損しているかのようだ。

しかし、彼女は頑張って異性を好きなろうと努力する。

他の女性がしているように、自分も好きな人と恋愛をして、結婚したいと願っているからだ。

しかし、どんなに好きになろうと努めてみても、恋愛感情が湧いてこない。

彼女はそんな自分を責めるのだった。

彼女は、恋愛をしようと努力するがゆえに、様々な男性と付き合ってはみるが、短期間で別れるということを繰り返していた。

私が思うに、彼女は彼女なりの内面の特徴があって、それが世間で言うところの”普通”に合っていないだけなんだ。

自分らしさってなんだろうと考えてみる必要がある。

世間の当たり前に自分を合わせようとするのではなくて、いかに自分を表現していくかに舵を切ったほうが幸せになれる気がする。

異性とは深い関係になければいけないという決まりなんてどこにもない。

彼女に合った、自由に異性との距離感を保てる関係を模索すれば良いのではないだろうか。

相手のことを好きになったり、やがて結婚したりということだけが幸せなのではない。

言ってしまえば、あいまいな関係だって良いんだ。

生きていれば男女の出会いはある。

その中で、時々は一夜の男女の関係になることもあるだろう。

全く異性を排除した生活もしたくないのであれば、そのように自分を縛らないで、自由にその場を楽しむこともありなんじゃないかと思う。

 

恋人ができないことで自分を責めて、自信を失っている男性は特に多い。

社会が勝手に設定したハードルで、自分を計る必要性なんてまったくない。

自分らしさってなんだと、立ち止まって考えてみる必要がある。

社会の教義に力を与えるのではなく、自分らしさにこそ、スポットライトを当てよう。

お金持ちが勝ち組であるという教義に縛られるな

現代社会では、お金を持っている者が勝ち組という世間的な見方も支配している。

自分自身の収入によって、自分で自分を裁いてしまう仕組みとなっている。

他人がもらっている収入を知って、より自分の方が少なければ劣等感を抱くような感じだ。

また、だいたい一千万円以上の収入があれば勝ち組といったような線引も存在している。

それもまたおかしな話じゃないか?

本来、お金があるかないかなんて、その人自身の価値に何の影響も無いはずなのに。

自分らしさってなんだろう。

自分らしさを認めることなく、勝手に社会が設定した教義である、お金持ちが正義だというルールに真実味を感じる必要などどこにもない。

どんな収入であろうが、あなたはあなたらしく自信を持って生きていい。

自分らしさを発露させよ

もっと自由に、各個人が自分らしさを発露させてもいいと思うのだ。

世間体なんか気にするな。

自分らしさってなんだろうと、真剣に問おう。

それでこそ、活力に溢れた社会へとなっていくんじゃなかろうか。

本来多様性に溢れた人間を、一定の枠内におさめて、一人ひとりメジャーで計るようなことをしているから、社会に閉塞感が漂うのである。

まあ確かに、過去を振り返れば一定の型に収めたほうが社会全体の幸福の総量が高まった時代もあったのだろう。

しかしそんな時代はすでに終わって30年が経とうとしている。

平成の時代は、今までの昭和のやり方が通じなくなって、迷走していた時代。

令和になった今、平成と同じことをしていては進歩がない。

令和は間違いなく、各個人が自分らしさをどれだけ発揮するかが問われる時代になるのだろう。

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