なんでも自分が悪いと思ってしまう
他人から何かを指摘された時、自分が何かドジを踏んだのではなかろうかと心配になる。
「また何か間違ってしまったのではないか。。。。」
そんな、なんでも自分が悪いと思ってしまう心の反応をお持ちではないだろうか?
私は持っている。
これは瞬間的な反応のようなものであり、長年繰り返されてきた癖である。
そして、この心の傾向はとてもとても自分にとって害悪となり続けている。
これは圧倒的な自信の無さから発生するものだ。
友人と一緒にいて、自分が何か知ってる情報を話すとする。
「誰々の新曲、来週発売だってね」
そんな何気ない会話でも、
「ちがくね?今週発売だったでしょ」
とか返されるだけで、「えっ!今週だっけ!間違った!」
なんていう思いが頭を占拠してしまうのだ。
情報の真偽を確かめることなく、自分の見解を有無を言わさず引っ込めてしまう。
理解できない人もいるかも知れないが、こんな心の傾向を持つ人間もいるのだ。
なんでも自分が悪く、相手の方が正しい
このような心の癖を持っている人間は、自分の見解よりも他人の見解の方が正しいという認識を持っている。
それは取りも直さず、自分の判断力よりも、自分以外の他人の判断力のほうが優れているとみなしていることにもなってしまう。
本当に能力的に違いがあるかどうかは、問われることはない。
前提として、自分より他人が上、という世界観に支配されているということだ。
それでは、自己表現の土台が揺らいでいるということにもなるので、生きる喜びを得にくい状態ということでもある。
しゃべるのも、文章を書くのも、絵を描くのも、踊るのも、全て自己表現だ。
それらを自分自身でつまらないものだと片付けてしまっては、生きていても苦しいだろう。
思うに芸術とは、そういった囚われから解き放たれ、自由に自分自身のクリエイティビティを発動させた作品のことを言うのではないかと思う。
表現とは楽しいものだ。
人間の生きる楽しみの根幹を担うものとなる。
なんでも自分が悪いと思う原因は親が作った
では、なぜ私のような人間が生まれてしまうのだろうか。
原因はずばり親だと思う。
幼い頃、天真爛漫に思う通りに行動していた時。
怖い母親が急に怒り出すのである。
何でなの?僕が好奇心を持ってやったことなのに、何で怒るの?
幼い自分は、怒られた原因がわからない。
ただ、自由に行動していたら怒られたのだ。
そういったことを何度も繰り返していくうちに、子供はこう思うのだ。
「僕は何かしようとすると、必ずおかしかったり、間違っていることをしてしまうようだ。」
「だから僕の考えることはだいたい間違っているんだ」
本当に恐ろしいことだ。
この子供の頃の刷り込みで、その後何十年も、とてつもない苦労を強いられることになった。
今はある程度克服をし、相手の反応に対して全面的に降伏するようなことは少なくなったが、まだまだとっさの時に癖として出てしまうこともある。
他人のほうが自分よりも必ず正しいというのは、幻想でしかなく、かつて親が子供を支配するために植え付けたものでしかない。
そんなものはさっさと捨て、神が作った素晴らしき自分を決して卑下せずに、最大限売り込んでいこうではないか。
自信に溢れ、喜びある人生のために。
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