私とは何か。宇宙のはてよりも謎に包まれているもの

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who am i end of universe

宇宙で一番の難題

私とは何か。

これは究極の問いであり、たとえ宇宙の果まで調べ尽くせたとしても、最も身近な”自分自身”というものはわからないのではないかと思う。

今、私はサピエンス全史という本を読んでいる。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
売り上げランキング: 120

この本は確かにすごい。

興味深く読み進めているのだが、我々人間が、地球上のあらゆる生物の中で、ホモ(人間)属のサピエンス種に分類される生物だということがわかっても、私とは何か、という重大な問には答えていないのだ。

このような宇宙の歴史、地球の歴史、生物学、歴史、文化、全てを網羅した天才でも、その点に関しては盲点なのだろうか。

”私”とは、厳密に言ってホモ・サピエンスではない。

それは明白だろう。

では、”私”とは何か?という疑問が当然湧く。

この、意識の中心とは?

この、宇宙の中心とは?

この、私自身の人生とともにあるものとは?

科学はこの問を直視しない

科学は、往々にして”私”という問題を無視する。

目に入らないのか、もしくはあらゆる事象を客観的に見るのが科学なのに、”私”の問題に関しては当たり前すぎることとして、取り上げようとすらしない。

宇宙の果のことも興味があるが、最も近い自分の中心のこと、”私”についても探求すべきだ。

こう憤りを話してみたが、結局わからないのだ。

宇宙の果のことよりも、”私”に関することのほうが難しいから。

なぜ私は私なのか、という問題に関しては、一切の謎に包まれている。

永遠の謎だ。

”私”の正体を見破る人間たち

限られた聖者のみが、その謎を問いている。

”私”とは幻想なのだ、と。

”私”とは、本当は無いものなのだ、と。

”私”とは、思考の産物であるのだと。

だから、考えを手放した時に、わかる。

”私”のいない世界を体験できる。

理由というのも、人間の脳が作り出した幻想。

この世界は、ただ、ある。

ただ、存在している。

それだけのことなのだ。

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