私とは何かは、宇宙で一番の難題
私とは何か。
これは究極の問いであり、たとえ宇宙の果まで調べ尽くせたとしても、最も身近な”自分自身”というものはわからないのではないかと思う。
今、私はサピエンス全史という本を読んでいる。
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ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
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この本は確かにすごい。
興味深く読み進めているのだが、我々人間が、地球上のあらゆる生物の中で、ホモ(人間)属のサピエンス種に分類される生物だということがわかっても、私とは何か、という重大な問には答えていないのだ。
このような宇宙の歴史、地球の歴史、生物学、歴史、文化、全てを網羅した天才でも、その点に関しては盲点なのだろうか。
”私”とは、厳密に言ってホモ・サピエンスではない。
それは明白だろう。
では、”私”とは何か?という疑問が当然湧く。
この、意識の中心とは?
この、宇宙の中心とは?
この、私自身の人生とともにあるものとは?
科学はこの問を直視しない
科学は、往々にして”私”という問題を無視する。
目に入らないのか、もしくはあらゆる事象を客観的に見るのが科学なのに、”私”の問題に関しては当たり前すぎることとして、取り上げようとすらしない。
宇宙の果のことも興味があるが、最も近い自分の中心のこと、”私”についても探求すべきだ。
こう憤りを話してみたが、結局わからないのだ。
宇宙の果のことよりも、”私”に関することのほうが難しいから。
なぜ私は私なのか、という問題に関しては、一切の謎に包まれている。
永遠の謎だ。
”私”の正体を見破る人間たち
限られた聖者のみが、その謎を問いている。
”私”とは幻想なのだ、と。
”私”とは、本当は無いものなのだ、と。
”私”とは、思考の産物であるのだと。
だから、考えを手放した時に、わかる。
”私”のいない世界を体験できる。
理由というのも、人間の脳が作り出した幻想。
この世界は、ただ、ある。
ただ、存在している。
それだけのことなのだ。
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