生まれてきた意味は必ずある!と言う人達
「あなたがこの世に生まれてきたからには、何か必ず意味があるはずだ。」
こんなセリフを、稀に目にすることがある。
生きる意味を持てない人や、生きる希望を見失っている人に向けて、このように語りかけられることが多いと思う。
しかし、希望を打ち砕くようで申し訳ないが、生まれてきた意味などあるわけがない。
「あなたがこの世に生まれてきたからには、何か必ず意味があるはずだ。」
このセリフ、何の根拠も無いではないか。
根拠のない言葉を使う者は、無責任となってしまう。
人間が抱く希望ならわかる。
生まれてきたからには、何かそこに意味があって欲しい、と。
しかし希望を、事実のように言うのは正しくない。
また、希望を失っている人を励ますためなら、次のように言ったほうが良い。
「これからあなたに、一つの嘘を教えます。
あなたがこの世に生まれてきたのは、何か意味があるからです。」
私は、こういう言い方なら良いと思う。
これなら無責任には当たらない。
今から言うことは嘘です。でも、その嘘を都合よく信じていこうよ。
そんな生き方をオススメしているのだ。
人間も生き物。特別視するんじゃない
人間が生まれてきた意味なんてない。
そんなことは、ちょっと考えればわかることだ。
人間がこの世に生まれてくるのは、他の動物が生まれてくるのと変わらない。
動物は生きる意味を持って生まれてくるのか?
そんなことはたぶん無いだろう。
では、なぜ人間だけが生きる目的を持たされるのだろうか?と考えれば、そんなことはないとすぐに否定できるだろう。
人間だけ特別視するんじゃない。
生まれてきた意味がないと生きていけない人間はどうすればいいか
でも、難しいことに人間は、生きる意味がないと生きていけないんだ。
生まれてきた意味などもともと無いのに、意味がないと気付いてしまうと生きる希望を見失ってしまう。
ではどうすべきか。
ビクトール・フランクルの名著「夜と霧」に一つの答えが書いてある。
正確な表現ではないが、このような意味のことをフランクルは記している。
私達が、人生から生き方を問われているのだ。
アウシュビッツ収容所でフランクルは、希望も何も見いだせない環境を体験する中で、このような諦観に至ったのだ。
これはこれで、究極的な発見だと思うが、私はこれを少し改良したい。
そして、意味を求めない人生でもそれで良いなら別に構わない。
しかし、私達が生きる意味を勝手に設定するのは自由である。
フランクルが聞いたら怒るかもしれないが、別に人生から生き方を問われてはいない。
残念ながら。
アウシュビッツでのあまりにも厳しい日々の仕打ちの中では、「これは私達が試されているのだ」と歯を食いしばらざるを得ないのだろう。
それはフランクルがそう思いたいだけで、人生自体は別にフランクルに問うているわけではない。
これは科学の問題だから、冷たい物の言い方になってしまうことを許していただきたい。
私は、意味のない人生の中で、各個人がどう生きるかは自由であり、意味を求めたい人は、自分で生きる意味を設定すれば良いんだと思っている。
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