神が存在しないと証明したがる人々
どんなに素晴らしい理論を語っている人がいたとしても、あることを聞いた途端にがっかりしてしまう、というようなことがある。
それは、神は存在しない、だ。
言葉が悪いかも知れないが「あ、所詮その程度だったか。。。」と思ってしまう。
神は存在しない論者の人々は、神がいない理由を色々と並べて証明しようとする。
なぜ、程度が低いと感じてしまうのか。
まず、神の定義
神は存在しない論者の人は、神のことを何か”神さま”的に存在するものとして捉えている。
それは存在しないよね(笑)
神が何を指し示すのかを本当にわかっていないで批判しているように感じてしまう。
もし、本当に神という言葉が指し示すものが理解されたならば、それは否定しようがなくなってしまう。
神とは、いわゆる一なる存在である。
私達人間は、神であるこの一つの宇宙世界を要素毎に切り分けて認知し、理解している。
神という言い方が気持ち悪いと思うなら、何か別の言い方に置き換えたって良い。
このことについては以前記事にしている。
私達は情報空間に生きている
要素イコール言葉だ。
言葉とは、脳内では概念であり、一つの宇宙世界の一部分を概念化し、それを言語化することで、人間は世界を見ることができている。
人間はそのようにして情報空間を脳内に形成している。
いわゆる理屈の世界だ。
(人間だけのね)
このように、もともとの一つの宇宙世界があって、それを人間の脳なりに解釈することで個々の人間が情報空間を形成している。
そして、私達人間は、もともとの宇宙世界に触れることはなく、自分の情報空間の中で物を見て、感じ、判断を下しているというのが実情だ。
神は存在しないと主張する人間は、その自分の脳の情報空間内に留まっていると言っているようなものなのだ。
情報空間は所詮後付で人間が形成したものであり、その大本があった上でのことなのに、それに気付いていない人たちのことだ。
情報空間から離れ、神と一つになる
瞑想をする時、考えを手放したら、自分がいなくなると言われる。
それっていうのは、情報空間から離れた時に、そもそも概念の一つでしか無い”自分”というものから離れてしまうからだ。
そして当然、そこに残っているのは、自分がいない「ただある」という体感である。
そこには概念がない。
概念がないから、何もないわけだ。
何もないというか、全ては一つと言うこともできてしまう状態だ。
その時の脳は、抽象度が最高に高まっていて、IQが一番高い状態だと言える。
天才は、このような自分がない状態からアイデアを受け取っている。
極度に集中しているフロー体験というような状態だと、そこに自分という意識がなくて、最高のクリエイティビティが発揮されるのは、有名なことだろう。
その一段下が理論的思考であり、情報空間で頭を働かせている状態だ。
情報空間こそ、この世界そのものだと信じ、神などいるわけがないと主張したくなる脳の状態である。
このような理由で、私は神が存在しないと主張する人の考えを聞く気が失せてしまう。
情報空間をさらに俯瞰した認知段階を、未だ知らないと表明しているようなものだから。
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