読んでないけれど、意味はわかる
成功している人は、なぜ神社に行くのか、という本がある。
サンマーク出版
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私は、この本は実際に読んだことはない。
無いけれども、この本の題名から、自分なりに答えは見出すことができる。
神頼みは決して弱っちい行為ではない
まず、神頼みは、決して心が弱い人間がする行為ではない。
中には弱い人もいるかもしれないが、弱い人の場合は、神頼みを習慣にはしていない。
苦しいときだけ、神にすがるのである。
一度苦難を逃れたら、神への依存心を忘れてしまう。
そういうのは一時の気の迷いであり、真の信仰とは言わない。
神へ祈る人は、強い心を持っていると言える。
世の中の殆どの人は、神社に行く習慣を持たない。
俗世間での生活だけで完結させてしまう。
だからこそ、一般的な人は一般的なままにとどまる。
成功している人というのは、何かしら、世間ずれした習慣を身に着けているものなのだ。
ただ、それを口にすると世の中的に変に思われるから、あえて成功の秘密をバラすことはないけれどね。
私の考えとしては、必ず神社じゃなくてもいいということ。
お寺でも良いかもしれないし、外国なら教会でももちろんいいかもしれない。
ていうか、本当のことを言うと、自宅にある仏壇でもいいし、それすらもなくても良い。
形式が必ずしも大事ではない。
実際の行為こそが大事なのだ。
神に意識を合わせることで何が起こるか
では、神社で何をしているのかというと、”何か”に対して祈っている。
”何か”というのは、神ということで良いと思うが、神と言うことでぎこちなさを感じる人の場合だったら、呼び方はなんでも良い。
ただ、どんなに現実主義的な人であっても、神社に行くと感じる精妙な空気というものを感じることができるはずだ。
その静寂。
その無限。
それに自分を委ねると考えてもらったら良い。
その静寂に意識を合わせる時、目を閉じて、心を静かにして集中する。
そうすると、脳波が下がり、自我が抑えられ、右脳優位になる。
人は祈る時、変性意識状態に近づいているのだ。
その状態で神に願い事を思うと、しっかりと自身の脳幹網様体賦活系(RAS)に届く。
普段の意識状態では、自我のブロックが働いて、何か欲望があっても、そこまで届かない。
RASまで情報が届きさえすれば、RASは素直なので、与えられた情報に基づき、必要な現実を引き寄せ始める。
現実を引き寄せるというのは、願い事を叶えるために必要な情報を潜在意識が自動的に拾い集めてくれるということだ。
常識的な普通をとるか、非常識な成功をとるか
こういったわけで、冒頭に紹介した本の題名のように、神社でなくてもいいが、習慣的に”何か(神)”に対して意識のチャンネルを合わせ、願い事をする人は、自然と成功を手にすることになる。
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