「わかる」とは何か 人間がどうしても追い求めてしまう思考パターン 2

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マインドフルネス

「わかる」ということについて、昨日の続きを書こうと思う。

わかるとは、現実の一部の模造である 「わかった」とはどういう状態か。 あ!わかった!と、快感とともにひらめく時、実際には何が起こって...

一部要素を真似ているのが概念

「わかる」とは、現実を切り取った一部分の模造である。

脳は、模造をすることで物事を理解している。

模造とは、概念に等しい。

概念とは、人間が創造したものなんかではない。

真似でしか無い。

人間は、全く新しいものは作ることなど出来ない。

現実をモノマネすることしかできないんだ。

無から作り出せるのは、神だけだ。

人間が、創造したと思っているものは、モノとモノをつなぎ合わせて作っているだけである。

概念と概念。模造と模造だ。

私たちは比べるものがないと現実を見れない

人間の脳は、モノサシ、基準がないと現実を解釈できない。

もし何も持っていないとしたら、何も見えないということになる。

本当はこの世界はひとつであり、あるがままの状態でしかないのだけれど。

人間の脳の仕組みとして、現実の一部を切り取って、概念化して理解している。

理解することで、その理解したものを頭の中で扱えたり、人に情報を伝えたり、その概念を元に工夫を凝らしたりすることができる。

物事をわかるようになるためには、それだけ自分の中にピースを沢山持っておいたほうが有利だ。

頭のなかで、持っているピースとピースをつなぎ合わせて新しいものを作ったり、現実の一部分にあれでもないこれでもないと、ピースを重ね合わせてみたりして、ピッタリくるものを探すわけだ。

そういう道具、モノサシを持って、人間は現実に対している。

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人間の心は表現されることで救われる

心が辛い時は、日記を書くと心が安定するという。

また、誰かに話しを聞いてもらうというのも、苦痛が和らいだりする。

これも、心の中という混沌を、言葉に置き換えて表現することで、自分の心をわかる作業をしている。

また、辛い時に、慰めの言葉をかけてもらったりすると、救われる気がするのも同じことだ。

感情表現というのは、大げさでなく人を救っている。

私自身も、こうやってブログを書くことで、何かを得ている。

また、誰かが書いた本やブログを読んで、共感した時、自分の心を言い表してくれたような気持ちになって、著者はわかってくれているという嬉しい気持ちになる。

我々は、モノマネしかする能力を持たないのだけれど、そのモノマネは人間にとって馬鹿にできない意味を持つ。

モノマネによって我々自身の心を救っているからだ。

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