人生辛いだけ
日常生活の中で希望が見えない。
未来に何の夢も持てない。
日々好きでもない仕事で働かされて、これといって特に楽しみもない。
人生辛いだけ。。。
そんな風に思っている人も多いかと思う。
生きる意味を見いだせない人に対して、頑張れとか、諦めるなとか軽々しく言うのは控えたほうがいいと理解している。
ただ、一つ私から言っておきたいことがある。
今後の人生、良いことが全く起こらないとは言い切れない
生きていれば良いことがあるよ、なんて無責任なセリフは吐けないけれども、良いことがある可能性は捨てきれない、とは言えると思っている。
だってそうでしょう?
数学的に考えて、可能性はゼロではない。
こう言うと「生きてたって辛いだけだ!良いことなんかあるわけがない!」と返す人も多いかと思うし、その気持ちもわかる。
しかしこれからの人生で良いことが起こる可能性がゼロと断定するのも視野狭窄的ではないだろうか?
人生の出来事は独立して起こるもの
そして、出来事というのは一つ一つ関連性がなく、突発的な事象として起こるものだ。
つまり今日起こった出来事は、一週間前に経験したこととは別口で発生している。
これって、過去の影響を受けていないってことじゃないか?
それなのに人間の心というのは、今まで悪い人生だったから、辛いだけだったから、これからも悪いことが続くと思い込んでしまう。
しかし一つ一つの事象に関連性は必ずしもない。
ということは、良いことというのは、突然急に起こってくる可能性があるってことだ。
昨日までの人生、全て辛いことばかりだったのに、今日経験した出来事は全く新しい体験ってことがあり得るのだ。
辛いだけだった今までの人生に対する見方が変わってくる
そして、一回でも人生が明るくなるような出来事が起こると、素晴らしいことが付随して起きてくる。
今までの過去の辛いだけだった記憶が、まるでオセロをひっくり返すように全てパタパタと切り替えられてしまうのだ。
今、この幸せを感じられているのは、過去私がたどってきた道があるからだ、と思えるようになる。
だってそうじゃない?
もしちょっとでも違う人生であれば、今日の良い出来事を経験できなかったかも知れない。
人生がまるでひとつの道のように感じられてくるはずだ。
例えば、今あなたが結婚しているお相手は、過去の恋愛がなければ出会えてないかもしれない。
過去してきた恋愛の中で、記憶から消し去りたいものもあったかもしれない。
傷ついてきた経験だってあったかもしれない。
でも、そういった経験が一つでも欠けていたら、全然違った自分として生きているわけで、行動パターンも少しずつ変わってしまい、今の結婚相手に出会ってなかったかもしれないのだ。
そう考えると、過去の経験に感謝の念すら抱けるという風になってくるものではないか?
今現在が幸せであれば、過去の辛いだけの経験は夢の跡のように思えてくるものだ。
また、過去とのギャップがあればあるほど、今の幸せを噛みしめることができ、幸福感に包まれて、今を大切にして生きていくことができるんじゃないだろうか。
人生辛いだけだったとしても、生きて欲しい
何が言いたいかと言うと、今が辛くてもできれば生きていて欲しい、ということだ。
今後の人生で良いことがあると保証することはできないけれど、全くゼロとも言い切れない。
そして、もし良いことが起こるなら、それは過去とは切り離された形で、単独的に発生する。
もし、幸福を感じられたならば、過去の記憶はオセロのようにひっくり返る。
自分の中で、過去を引きずる気持ちを開放できるようになる。
過去の経験があったおかげで、今があるんだと、その時初めて思えるようになる。
だから、過去の出来事によって可能性に溢れた未来を決めつけないで欲しい。
未来は本当は、何一つ決まっていないのだから。
コメント