自分という乗り物をいかに上手く運転できるか
この人生は、自分という乗り物をどれだけ上手に運転するか、なんだと思う。
そのためには、乗り物自体に詳しくなくてはいけない。
車体感覚を把握することで、不用意にぶつけないようにする必要があるし、ブレーキのかかり具合や、アクセルを踏んだ時の加速の度合いなど、自分の車体の特徴を正しく把握することで、最もその乗り物の特性を活かした形で操ることができるようになる。
感性型と努力型がいる
しかし、感性が優れている人は、あまりそういったことを意識しなくても、十分に操れたりする。
野球で例えると、長嶋茂雄は天才で、イチローは努力型だと言われる。
長島は感性で野球ができてしまうので、できない人の気持ちはわからないだろうし、説明がどうしても感覚的になってしまう。
イチローは、自分の体の動きをすべて言葉で説明できるタイプだ。
言葉で説明できるということは、つまり頭で理解しているということになる。
イチローは努力によって一つ一つ理解しながら上達していったためだ。
長島タイプの人間は、あまり深く考えなくてもスイスイ上手に生きていけるが、イチローのような努力型の人間は、しっかりと自分を理解しないと、人生に翻弄されてしまう。
私は以前占い師から「あなたはとても複雑な機械を操縦している」と言われたことがある。
他の人は簡単な乗り物を乗りこなしている一方で、私は自分という乗り物を乗りこなすのに悪戦苦闘してしまっているというのだ。
まあ実際当たってると思う。
このブログの題名通り、自分の取り扱い方がわからなくて苦しんできたので。
私もまた、努力型として自分の取り扱い方を一個一個文章にして理解している。
自分の感性の程度であったり、与えられた乗り物がどの程度の複雑さかであったりが、どれだけ上手に人生を泳いでいけるかに関係してくる。
自分の説明書を完成させていき、上手く生きていこう
自分のことを不器用だと思っていて、生き辛さをもし感じているのなら、一つ一つ自分のことを理解していけばいい。
一つ理解したら楽になるというものではない。
イチローほどの努力はほぼ全員ができないだろうけれど、努力を積み重ねていくことで、少しずつ人生がわかってきて、楽になるはずだ。
自分という乗り物の設計図であったり、操縦方法を少しずつ完成させていこう。
もし完璧に乗りこなせるようになったら、どんな乗り物だったとしても、それなりに快適な運転が可能となるものだ。
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