幸せは自分で掴み取らなきゃいけない。
自動的に与えられるものではない。
意識的に、取りに行かなきゃいけない。
人間の古い脳は、自動で自分を生かそうとしてくれる。
意識せずとも、危険が降り掛かったら脊髄反射で危険から身を護ってくれる。
自律神経の働きにより、お腹が空いたらご飯が食べたいと思い、疲れたら眠くなって体力を回復するよう促してくれる。
自分で意識して、餓死しないようにご飯を食べないととか、過労死しないようにそろそろ寝ないとな、と行動をコントロールする必要など無い。
ただ、自分の体の中の自動で働いてくれる機能は、人間の幸せまで面倒は見てくれない。
幸せになるには、意志の力を使う必要があるんだ。
人間脳と爬虫類脳は目的が違う
人間の脳は、大まかに3層に分かれている。
爬虫類脳と哺乳類脳、そして人間脳だ。
進化の各段階で作られていった脳だが、人間脳は人間ならではの思考、つまり物事を認識し、抽象概念を取り扱うことで、脳内に情報空間を作り上げている。
考える脳であり、自分が意識して使っていくものだ。
一方でそれ以外の脳は、無意識の範疇になり、人間が別に意識しなくても、自動で脳が働いて様々な機能を果たしてくれている。
そして、人間脳は寝ている時に休むのだが、無意識の脳は人間が生きている間は活動を止めることがない。
寝ているときでも、ちゃんと呼吸をし、消化活動をし、体温調節を行うのである。
人間は、意識的にならなければ、爬虫類脳などの無意識の脳だけの言うことを聞き、食べて寝て、危険を回避するだけの、生命維持のみを目的とした生活となってしまう。
動物だったらそれで十分なのだが、我々人間は、それだけでは満足しない生き物なんだ。
ただ命をつないでいるだけでは、人間脳は納得しないのだ。
もっと楽しく過ごしたい。
家族や仲の良い友だちと笑って過ごしていたい。
愛情を感じたい。
夢や目標の実現に向けて頑張りたい。
動物や昆虫にない、そういった希望を叶えていくには、人間脳を働かせていく必要がある。
人間脳は、自律的に働いてくれるわけではない。
人間があえて使っていかなければ、宝の持ち腐れなんだ。
人間脳は意識して使わないと宝の持ち腐れ
生命としての喜びと、人間の高次欲求はそのように必ずしも一致しない。
生命としての喜びは、自分の命を守り、子孫を繁栄させること。
しかし人間としての複雑な欲求は、生命としての欲求と相反することが沢山ある。
人間は抽象概念を扱う生物なので、それを鍛えるために古くから学習が重要視されてきた。
しかし勉強とは辛く退屈で、辛抱強さが求められる。
それよりはエネルギーを消費せず、日向で寝転がっていた方が生物としてはメリットがある。
人間の古い脳は、思考にエネルギーを割きたくなくて怠けようとするのだけど、人間の行動な脳は、負荷をかけて学びを得ていくことに強い欲求を覚える。
このように一つの脳の中で対立する感情が芽生えるようになっている。
人間脳は意識しないと働きが止まってしまうので、常に休まない古い脳に負けがちなのが大体の人間の姿だ。
刹那的な欲求も、人間独自の高度な欲求も、どちらも欲求には違いない。
優劣を付けているのではない。
私達人間は、人間としての幸せを求めるものだと思うから、意志の力を発揮し、人間脳を活用していくべきだと思うのだ。
人生の幸せは自分で掴むものだ
幸せは自分で掴み取らなければならない。
爬虫類脳は、自動で安全を求め、生かし続けてくれるけれども、私達を自動で幸せにしてくれるわけではない。
人間的な幸せを感じるのは人間脳で、人間脳は意識して使っていかなくてはいけない。
爬虫類脳の自動パターンに従い続けるのではなく、人間ならではの抽象的思考を使いながら、自分の望む行動パターンの方を選択していこうじゃないか。
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