人が生きていく目的って、なんだろう。
根本的には、幸せに生きるということに収束すると思う。
その幸せの形とは、人それぞれ当然違うはずだ。
人類に課せられた次の課題
その幸せを手にれようと、全人類が今日も悪戦苦闘しているのがこの地球の状況だ。
もっと古い時代、きっと5千年〜1万年前は、幸せを追求できるのはごく限られた身分の人間で、ほとんどはその日生き残ることしか頭になかったんじゃないか。
人々の暮らしがだんだん豊かになってきて、生命の危機はとりあえず去った状況になった時、人類に新たな生きる課題が課せられたんだと思う。
過去歴史を振り返ると、聖者が現れて、人々に幸福への道を説いたりしたが、現代の人々の心の状態は、それからあまり変化してないようにも見える。
反応的な心
環境や場、他人等から発せられる影響力にもろに反応的であるということだ。
楽しいことが起これば楽しい。辛いことが起これば辛い。
あなたの感情が、起きた出来事に対応させられるのであれば、あなたは何かや少し賢い誰かに操られる。
人参をぶら下げられると見事に引っかかってしまうのだ。
そんな心の状態である限り、常に不安がつきまとうし、今が幸福でも、いつかその幸せが終わってしまうんじゃないかと気が気じゃない。
そんな心の状態ではいかんと、過去の聖者は様々な形でメッセージを送ってきたし、神とも言うべき存在は、不幸な出来事を与えるという形で私たち人類に「気づけよ」とメッセージを送ってきた。
幸せになる考え方のコツは、自ら発せよ
彼らのメッセージは一貫して”神を信じよ” ”神を愛せ”ということである。
私たちは、何か感情や考えを持つためには根拠が無いといけないと思い込んでいる。
それ相応の理由が必要だと思っているのだ。
ボランティア精神に欠け、口をあーんと開けて、与えられるのを待つのみだ。
自らの思考、感情を持つのに、理由や根拠など必要がない。
神がいるという根拠などどこにもないから、神など信じないという人がいる。
違うんだな。
信じるという行為は、ただ、信じることによって成り立つ。
あなたがただ、信じると決めて、実際に信じればよいのだ。
愛情も同じだ。相手からの見返りが期待できるようになるまで差し向けない、というのではケチだ。
自ら、愛情を与える人になる。
そうすると何が変わるか。
エネルギーの流れる方向性が真逆になる。
今までは自分の外の影響を受けまくって、振り回されていたのに、あなたが発信者となることで、外からの影響は止み、今度はあなたが他に対して影響力を発揮し始める。
幸せになるための方法は、あなたが好ましいと思う感情や考えを持つことだ。
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