感情の出処はいつも同じだ。
それは、あなたの心の中だ。
きっかけが外部からの刺激によって引き起こされたのか、それとも自分から意識して感情を発生させたのか。
原因の違いはあっても、結果は一緒なんだ。
いつ何時も、感情はあなたのものだと気づくことができれば、普段の考え方や行動も変わってくるはずだ。
感情の発生源はいつも同じ
恋人ができて、好きで夢中になっていると、自分の心の中が愛情で満たされている感じがする。
でも、恋人と別れることになったら、自分の心から愛情がこぼれ落ちてしまうように感じてしまう。
外部からの刺激として恋人がいたおかげで、自分の中に愛情が生まれていただけだったと気づく。
外部からの影響に反応しているのは、不安定になりがちで、メンタル的に疲れてしまう。
もし、仮定の話として神様を慕うなら、神様はいなくならない。
常に自分の中に愛情が芽生えている状態とすることができる。
もし、自分のことを慕ってみたらどうか。
そしたら同じように、心に愛情が満ちるのを確認することができると思う。
恋人を愛するのも、神様を愛するのも、自己愛と同じだったのだ。
なぜなら、感情の発生源はいつも同じ場所だから。
自分の心だから。
感情は一箇所からしか発生しない。
どんな感情でいるかにもっとシビアになったほうがいい
感情の出処は一つしか無いのだから、いつもどんな感情でいるかは気にしておいたほうが良い。
いくら他人に不快な思いをさせられたと言ったって、その感情は自分から湧いてきているのだから。
外部刺激で起こされた感情だろうが、自ら起こした感情だろうが、出処は同じでその感情の質に変わりはない。
だから、できるならば他人には愛情を持って接したほうが良い。
それは自分に愛情を持って接しているのと同じことになるから。
嫌なヤツだからといって、雑に扱っていたら、自分を雑に扱っているのと同じことになるから。
イエス・キリストの言う「隣人を愛せよ」という教えは、実践するには非常に難しいものだと思うが、それが自分のためになると思えれば、ちょっとはやってみようという風に気持ちが変わるのではないだろうか。
どんな感情でいるかがあなたの世界観を決める
感情の出処は一つしか無いのだから、できればいつも愛で満たしておいたほうが良い。
だから、自己愛がどの程度あるのかは大事なんだ。
どんなセルフイメージを持っているかによって、基本的にどんな感情で満たされているかが決まってきてしまい、それが人生に大きく影響を及ぼしてしまう。
自分のことが嫌いであれば、嫌悪感や否定的な気持ちが常に占められているだろう。
感情の出処は、あなたの世界では、あなたの心の中しかないのだから、つまりは否定的な世界観、否定的な人生となってしまうんだ。
心の状態を放っておくことが、どんなに恐ろしいことか、わかっていただけただろうか。
自分の世界を反映する器の中には、できるだけ良いもので満たしておいたほうが良いに決まっている。
感情はどこから湧いてくるか
感情の出処はいつも同じだ。
あなたの心の中から感情が生まれてくる。
それが外部刺激から引き起こされたものであっても、自主的に起こした感情であっても。
トリガーが違うだけで、どちらにおいても感情の性質は変わりない。
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