私は自分の人生に責任がある
私は、この自分が持つ資源を使って、できる限りの成果を残す責任があると考えている。
私はこの人間として生まれることで、この世にやってこれている。
いわば、この人間の人生を預かっているのである。
さながら、機械に乗って操縦しているような感覚だ。
エヴァンゲリオンがこの人間で、その運転手が私の意識ということになるだろうか。
私がこの世に出て来る上で預かった人間は、怠け者で、傷つきやすく不器用で、人付き合いが苦手で、疲弊しやすいが、長所もいくつかあるはずだ。
とても扱いづらいが、その長所を活かしてできることを見つけ、この人間をもっと上へと登らせてやらないといけない。
手持ちのカードを眺めて、その中でできる限りの手を打っていく必要がある。
こいつの人生が、最後「良かった」と思わせてあげられるように、少しでもいい人生を歩ませてやらないといけない。
そんな風に考えているのだ。
私とこの人間が一体となってはマズイ
それなのだが、私の意識が、この人間と一体となってしまう時間帯が多い。
この人間に起こったことを、感情移入しすぎて私事に捉えてしまい、ムキになったり、私までも傷ついたりしてしまうんだ。
それでは、現状に翻弄されているだけになってしまい、どこに向かっているのかわからない。
この人間はデリケートであるので、なかなかこの世知辛い世の中で、自動で人生を良くしていくのは難しいようだ。
この世の中に対応するのがうまい人間は、放っておいてもいい人生を歩んでいくんだけど。
社会のレールから外れる生き方を怖がらない
この人間の場合は、長所が一般社会のレール上で求められていることに合っておらず、なかなか輝くことができない。
社会のレールにしっかりと乗っかる技術と、持ってる能力が噛み合わない。
だけど、それは決して能力が低い人間ということにはならない。
そいつ個人の能力はあるんだ。
それが、圧倒的多数が歩むレールには、うまくハマらないというだけだ。
何もわからない最初は、この社会が用意したレールに乗って競争するしかなかった。
うまくできたかもしれないし、最初はしょうがない。
レールに沿うことが難しく、生き辛いと感じても、自分の能力を疑う必要はない。
ただ、一つの条件下には適さなかったというだけに過ぎない。
レール以外の方法で、レールから外れた生き方によって自分の能力を活かして、何かしらの結果をこの社会で出す必要がある。
クリエイティブな仕事が求められるということだ。
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