無気力の原因は、親からの価値観の押し付けだった

親の価値観の押し付け 生き方

無気力なのは、親の価値観の押し付けが原因

やる気が出ない、無気力な人というのがいる。

私自身、昔はそうだった。

家事などのやるべきタスクは溜まってるんだけど、やる気が出なくて手を付けることができない。

ダラダラしてしまうんだけど、その状態も決して快適とは言えない。

やらなきゃいけないというプレッシャーが重くて、動き出すことができない状態だ。

そんな状態を、うつ病の一歩手前なんて言われたりもする。

なぜそんな無気力な人間ができてしまうのか。

その原因は、親からの押しつけが多かったからだと思う。

親の押し付けが、子供のピュアな好奇心を潰してしまう

親から、自分のやる気とか気持ちとか関係なく、やることを有無を言わさず強制されてきたから、やる気が出ない人間になってしまうのだ。

親の「こうしなさい。ああしなさい。」という指図はありがちではあるが、そこに子供の気持ちへの配慮が何もないと、何かをやってみたいとか、こうしてみたいという好奇心の根が摘まれてしまう。

人間は本来、生得的に好奇心を兼ね備えて生まれてくる。

赤ん坊を見ればすぐにわかる。

なんでも見て触って楽しんで、口に入れたがる。

人間という存在の根幹をなす特徴として、好奇心は外せないもののようだ。

そんな人間の基本的な活動の前提になっている好奇心を、多くの親は摘み取ってしまう。

それは多くの場合、無自覚に行われる。

親本人たちは何も罪悪感を持たないし、好奇心が失われた結果、無気力な人間に育った子供の方を責める。

一人の人間の可能性を著しく損なわせる扱いなので、これは大変な罪じゃないかと思っている。

子供は好奇心を心の奥底に押し込めてしまう

子供は、ピュアな好奇心から、ああしてみたい、こうしてみたいという希望を持つものではあるが、親の庇護下にいるので、親の相談が必要だということはわかっている。

そこで、親に相談しに行く。

「ねぇ、誰々ちゃんちに泊まっても良い?」

そこで親の対応が「ダメ!」の一言で終わったら、子供の気持ちを潰してしまう。

この親の対応がなぜ駄目なのかというと、子供の気持ちに向き合っていないからだ。

友達と楽しく過ごしたいという子供の気持ちに寄り添った上で、親自身が泊まりに行ってはいけないと思う理由を説明してあげるのだ。

「友達とお泊りするのはきっと楽しいよね。でもね、宿題はどうなってるの?宿題をちゃんと終わらせてからじゃないと泊まりに行くことはできないよ。やるべきことはちゃんとやらないとね。」

こんな風にちゃんと説明をしていないと、子供は敏感に、自分の考えをないがしろにされていると感じるものだ。

子供にとって自分の親の存在はとてもとても大きいのであり、そんな親から感情を無視されるということは、自分の思いつくアイデアには価値がないのではないかと考えるようになってしまう。

この否定のサイクルを繰り返していくうちに、子供は好奇心から生まれたアイデアを心に押し留めてしまうようになる。

言っても理由も聞かずに否定されてしまうし、きっとそんな自分のアイデアは思っちゃいけないものだから。

好奇心を解き放てないということは、人間の行動の基本的な原動力が生まれないということになる。

そのようにして、やる気の出ない、無気力な人間が出来上がってしまうことになる。

親から離れて、好奇心を再度育てていこう

やる気が出なくて無気力なのは、多くの場合親の押しつけが原因である。

大人になった今、もう一度好奇心を育てていこうじゃないか。

やりたいことは何でもやってみたらいい。

もう自分を縛る親はいないし、働いてお金もできている。

私自身も、社会に出て一人暮らししてからは、手当たり次第なんでもやってみて、経験値を積み上げたのだから。

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