ちょっと良いことにうかつに手を出してはならない
小さなイエスにうつつを抜かしてはいけない。
あなたの中の、最も大きなイエスに、最重要事項に集中すべきなのだから。
私は長い間、この罠にハマり続けていた。
小さなイエスは、それ単体で見るとやるべきことのように見えてしまうから厄介なのだ。
しかし、あなたがさらに大きなイエスを持っているのだとしたら、あとで時間を浪費してしまったと後悔するハメになる。
海外旅行は良いものだが、最重要事項なのだろうか?
若い頃に私は海外旅行にはまっていたことがある。
連休が取れればすぐに航空券を予約し、海外に飛んでいた。
旅行は確かに良いものである。
日本とは全く違う町並みや雰囲気に、今まで持っていた当たり前が破壊され、感覚が刺激される。
人々との交流もまた、心温まる体験となる。
海外の人は日本人よりもウェルカムであり、日本社会にいて自然に作り上げてしまっていた心の壁を溶かしてくれる。
しかし、自分の人生の中で、旅行は果たして中心となるものなのだろうか?
私は普段仕事をしていて、日本社会で生きていて、それは変えようもない条件であるのに。
もっと大きなイエスがあるのではないだろうか?
当時の自分には、それが何なのかわからなかったが、旅行が最大のイエスでないことは、心のセンサーによって段々と気付いていくことができた。
恋愛も良いものだが、最重要事項だろうか?
私の中では昔の恋愛も小さなイエスだった。
しかし最大のイエスに気付いていなかったので、自分でも訳が分からず混乱し、付き合っていた女性には迷惑もかけたと思う。
確かに彼女は欲しかったんだ。
恋愛はしたかったんだ。
相手の女性も好きだった。
その気持ちは間違いない。
しかし、恋愛が一番大きなイエスだったのかというと、違っていたことに当時は気付いてなかった。
デートしていても、こんなことやってて良いのかという焦燥感が出てきて、相手に優しくできない。
別にもっと自分の中で大事なやるべきことがあったのにも関わらず、その存在に気付いていなかったんだ。
ちょっと良いことを断って、最重要事項に集中する
世の中には、様々なイエスが溢れかえっていて、あなたをいろんな形で誘ってくる。
読書は一般的に良いことだと言われる。
確かに良いことだと思う。
しかし、あなたの中でもっと大きなイエスがあった場合、読書は良いことだとしても、読書をせずにもっとあなたにとって大事なことをすべきだ。
この罠は本当にハマりやすいので気をつけなければいけない。
自分への言い訳にもなってしまう。
良いことだから、やろうというね。
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