日常辛くても、大体は考えなくて済む方がいい
生かしてもらうのと、自分で生きていくのは、全然違う。
日本社会というのは、動く歩道のような社会だから、何も考えなくても生きていけるようになっている。
社会のレールに乗っていれば、餓死することなく生きていける。
それはそれで会社にこき使われたりして、大変な面もあるが、考えないというのはある意味楽なのだ。
社会は嫌だといって、ドロップアウトして自分で生きてみろ、と言われたら、なかなか苦しむと思う。
自由というのは、ごく一部の人間を除いて、苦痛なんだ。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟にも書いてあったと思うが、大多数の人間は、喜んで不自由を選ぶものだと思う。
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「セルフ・ヘルプ」
自助の心が必要だ。
自分で自分を助けていくような心がけだ。
外に頼る心を持っていては、微々たる給与によって支配者階級に操られることになってしまう。
自分で自分を律していくのは、非常に辛いものだ。
人間とは基本堕落する生き物だ。
その堕落を避けるために、支配者階級に囲われていた方がマシだ、ということになってしまう。
私自身は、社会のレールに沿って生きていくのはもう懲り懲りだと思っている。
会社も辞めてしまったが、それでも何かをして生きていかなくてはいけない。
朝起きて、会社に行くという縛りがないと、なんと朝起きるのが難しいことか。
どこまでも惰眠を貪るのだ。
しかし、負けてはならない。
自分を追い込み、懸命に生きているという実感を得よ
要は危機感が足りないからだ。
もし、命がなくなる危険があるならば、飛び起きて行動するはずだ。
自分を追い込んで、行動に駆り立てよう。
自分を励まして、時には発破をかけて、うまく行動に導いていこう。
人や社会に律してもらうのではなく、自分で自分を律するんだ。
私は、サラリーマンはもうやらないという縛りを自分に課した。
それを身の回りに公言もして、自分を追い込むようにしている。
人間、どうしても弱いし、自分にすぐ甘くなるものだ。
ただ、レールに沿って生きるのはゴメンだ。
自分自身で行きたい道を歩む。
他人が決めた人生でなく、自分の人生を生きるために。
それが幸せかどうかって?
そんなのわからない。
わからないけど、やるしかない。
そのほうが自分にとってマシだってだけだ。
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