やることが多い現代人
現代において生活する人類にとって、ただ普通に生活するだけでも忙しい。
昔、ある老人の経営者がポツッと言っていたセリフが耳に焼き付いている。
「ただ生きているだけでも大変だ」
そう。私達は普通に生活しているだけでも、様々な厄介事が舞い込んできて、その対処に追われ続けているかのようだ。
そんな忙しい私達は、やらなきゃいけないことをたくさん背負っているにもかかわらず、実際にはなかなか手を付けられていない。
直近で片付けないければいけない問題にしかり、いずれは整理しておかなければいけない問題にしかり。
それどころか、日々の生活も当然しっかりとやっていかなければいけない。
炊事に掃除に洗濯に。
とにかく、やることは沢山あるのだ。
しかし、いざ束の間の余暇の時間ができた時に、なかなか腰が重くなる。
やらなきゃいけないとは頭でわかっている。
でも、体が動かない。
これは一体どういうことなのだろうか。
人は皆二重人格を持っている
実は私達人間の脳は、相反する性格の脳が同居している。
衝動的な脳と、理性的な脳だ。
人類が今まで生き残ってくる中で、その時代環境に合わせた生存戦略を取ってきた。
ホモ・サピエンスが誕生する10万年前よりも昔は、目の前に獲物が現れたら迷わず捕獲しなければ、次に食事にありつけるのはいつかはわからない。
また、ライオンなどの猛獣が現れた時は、それこそ躊躇することなく何も考えずに全力で逃げなければいけない。
そのために、衝動的な行動を促す脳が発達した。
しかし、10万年前から人間が誕生し、集団で生活をするようになると、助け合ったり、お互いに力を合わせたり、役割分担をしたりといったことが求められるようになった。
もしそういった集団行動ができなければ、おそらくその集団の中では生きていくことができず、追い出されてしまったことだろう。
その時代において、集団から追い出され一人になることは死を意味する。
集団の中で必要とされるのは、一言で我慢だ。
自分はもっとたくさん食べたいのだけれど、仲間や女子供に公平に食物を分け与える必要がある。
自分勝手に振る舞うことはできない。
自分を抑え、他のみんなの得についても考えていかなければいけない。
そういったわけで、衝動的な感情を抑えて、全体にとって得となる行動選択ができる理性的な脳が発達した。
というか、理性的な脳を進化させられなかった種は、淘汰されていったと言ってもいいだろう。
問題は、今まであった土台の上に、新たなものが築かれてしまったということだ。
そう、衝動的な脳に追加される形で、理性的な脳、つまり前頭前皮質が発達したんだ。
だから、私達はいまだに、心の中の葛藤と向き合うことになっている。
衝動性と理性の間でね。
だから、日々の雑務に直面した時、やることはあるのにやる気が出ない。
理性的な脳は、すぐに片付けるべきだとわかっているのに、衝動的な脳は面倒を避けて楽をしたいと思ってしまうからだ。
やることはあるのにやる気が出ない時の対処法
私が最近取り入れている方法は、自分の中ではかなり上手く行っている。
それは、怠け心が出た時に、自分を責めないこと。
そして、それは自分の中のもう一つの脳が、自分の為を思って仕向けてくれていることなんだと捉えることだ。
そう、衝動的な脳は、それまでの生存戦略で最適な回答を出してくれているはずで、それは「必要なときに備えて体力を温存せよ」ということなんだと思う。
ちょっと時代背景が変わっちゃってるだけでね。
それは決して今の自分に対立するものではない。
自分の為を思って、司令を発してくれている。
面倒くさい感情が湧いてきた刹那、そのように捉えるようにすることで、スーッと怠けたい心が収まる。
面倒くさい心を抑え込もうとすればするほど、相手は強烈に反発してくるものだから。
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